高校通学中に何気なく立ち寄った映画館で、上演していたフランス映画に魅了され、俳優に憧れるようになると、やがては、「自立劇団表現座」で大道具・小道具などの手伝いをするようになったという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんは、その後、高校2年生の時、本格的に俳優を目指すべく、「俳優養成所」の試験を受けたといいます。

「愛川欽也は高校時代フランス映画に魅了され俳優の道に飛び込んでいた!」からの続き

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「俳優養成所」の一次試験(書類・写真選考)に合格

高校1年の秋、「自立劇団表現座 俳優と演出部員募集」と書いてあるポスターを見て、思い切って、そのポスターに書いてある住所を訪ね、大道具・小道具などの手伝いをするようになったという愛川さんは、

高校2年になり、「自立劇団表現座」の公演が終わって数ヶ月が過ぎた2月の初め頃には、劇団の中心人物である早川さんから、俳優になりたいのなら、「俳優養成所」が生徒を募集しているので、試験を受けてみたらどうかと勧められたことから、

次の日、早速、六本木にある「俳優養成所」から受験申込書をもらってきて、申込書の案内通り、写真と願書を送ると、3月のある日、第一次試験(書類・写真選考)の合格通知を受け取ったそうです。

(このことは誰にも知らせなかったそうで、「望郷」のジャン・ギャバンや「北ホテル」のルイ・ジューべと、将来、俳優になった自分の姿を重ねて、大宮の商店街のショーウィンドーに映った自分を見て、少し顔を斜めにして気取ってみたり、ニヤッと笑ったり、目つきを鋭くするなど、一人で悦に入っていたそうで、まだ、17歳の少年だった愛川さんの夢は、まるで水素がたくさん入った風船のように大きく膨らんでいったそうです)

「俳優養成所」のニ次試験の控室では他の受験者を見て気後れしていた

そして、第二次試験の当日には、案内にあった通り、海水パンツ・タオル・筆記用具を風呂敷に入れて、六本木の「俳優養成所」に向かったそうですが、到着して「俳優養成所」の看板を見た途端、急に緊張し始めたそうで、それでも、勇気を出して扉を開けて中に入ったそうですが、

大きな控室の部屋には、すでに、さまざまな年齢の男女があふれんばかりに集まっていたそうで、これから試験でライバルになる人たちを観察していると、そのうち、切ない気持ちに襲われ、壁一面に貼られた大きな鏡に映っているはずの自分の姿を、直視することができなかったそうです。

(控室には、愛川さんと同い年位の少年から、大学をとっくに卒業したような落ち着いた感じの若者、すぐにでもメロドラマに出演できそうな二枚目の男性、難しい本を山ほど読んで小説か詩でも書いているような青白い顔の青年、夜の水商売の店にいたら売れっ子になりそうな目の大きな肉感的な唇の女性、日本人離れした均整のとれた身体に顔の小さな男性などがいたそうです)

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筆記試験はそこそこの手応えだった

そんな中、10時に筆記試験が始まると、第一問目は、「日本で一番大切な法律は何だと思いますか」という一般教養問題で、愛川さんは、自信を持って「憲法」と書いたそうです。

(中学の時の担任の先生が、いつも、「民主主義の国で一番大切にしなければいけないのは憲法だ」と話していたのを思い出したそうです)

第ニ問目は、「あなたはその法律のどこが一番大切だと思っていますか」という問いだったそうで、愛川さんは、「戦争放棄」と書いたそうです。

また、国語は、簡単な漢字と熟語、好きな小説と作家について答えるなどのテストだったそうですが、愛川さんは、浦和の自立劇団へ入ってから演劇の本をたくさん読んでいたことから、難なく答えを書くことができたそうです。

(ただ、世界の演劇に関する問題は難しくて分からず、わかるだけのことを書いたそうです)

そして、最後の筆記試験は、「あなたの好きな舞台、あるいは映画の作品名をいくつか挙げてください。さらにその作品のあらすじを要約してください」というのものだったそうで、

愛川さんは、有楽町の小劇場で観たユージン・オニールの舞台「ああ荒野」、「北浦和映画劇場」で観たフランス映画「巴里の屋根の下」「北ホテル」「望郷」を挙げ、「望郷」のあらすじを書く時には、自分がジャン・ギャバンさん演じる主人公のペペ・ル・モコになりきって書いたのだそうです。

「愛川欽也は「俳優養成所」のパントマイムの試験で不合格を確信していた!」に続く

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