担任の先生に勧められるがまま進学校の浦和高校を受験すると、合格したことから、将来は、家計のため弁護士になろうと思っていたという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、それから、わずか数ヶ月後には、フランス映画にはまり、どうしたら俳優になれるかばかりを考えるようになったといいます。

「愛川欽也の高校入学当初は成績優秀で弁護士になろうと思っていた!」からの続き

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高校1年生の時フランス映画に魅了される

中学の時、担任の先生に進学校・浦和高校の受験を勧められまま受験すると、合格したことから、せっかく良い高校に入れたのだから、卒業したらいい大学に入って弁護士になろうと思ったという愛川さんですが、

入学したその年の秋、学校へ通う道の途中に「北浦和映画劇場」という映画館が新しくでき、面白そうだと思い、何気なく入ったところ、そこで観たフランス映画にすっかり魅了されたそうで、

(その映画館では、「巴里の屋根の下」(1930)、「巴里祭」(1933)など、戦争中は敵国だったフランスの古い映画が3日おきに次々と上映されたそうで、愛川さんは、フランスの首都パリを「巴里」と漢字で書いていることや、「巴里祭」でヒロインを演じた「アナベラ」というかわいい女優を初めて知るなど、すべてが新鮮だったそうです)

それからというもの、愛川さんは、学校へは行かず、「北浦和映画劇場」に入り浸るようになり、「北ホテル」(1938)、「霧の波止場」(1938)、「望郷」(1937)、「格子なき牢獄」(1938)などのフランス映画を、次々と夢中で観たそうで、

愛川さんは、

学校の手前にフランス映画だけやってた映画館が出来た。1人で何人もやっつけちゃうようなアメリカ映画は僕は肌に合わない。

フランス映画は主人公の挫折や兵隊なら脱走兵、それに泥棒とか。そういうのにたまらなく引かれて。気がついたらこの映画館が僕の高校の授業になっちゃってたんだよね

と、語っています。

(映画に出てくる主人公たちはみな貧乏で、そんな主人公たちに共感したそうですが、特に、ならず者やお尋ね者などアウトローの役を多く演じていたジャン・ギャバンさんが好きだったそうです)

新劇の舞台に衝撃を受け俳優を志す

こうして、愛川さんは、知らない国、フランスにすっかり心を奪われてしまい、もっとたくさんの映画を観ようと、東京に出るようになったそうで、

有楽町の映画館に通っているうちに、新劇の舞台を知ると、西洋の芝居を日本の俳優が演じていることに衝撃を受け、同時に、

これなら日本人でもフランス人になれる!これだよ!!

と、自分が生きていく道はこれしかないと思い、どうしたらこの世界に足を踏み入れられるのか、毎日そのことばかりを考えるようになっていったのだそうです。

「自立劇団表現座」に入座を希望する

そんなある日のこと、大宮(当時愛川さんが住んでいたところ)の街の中で、「自立劇団表現座 俳優と演出部員募集」と書いてある一枚のポスターを発見すると、愛川さんは、思い切って、そのポスターに書いてある住所(浦和)を訪ねて行ったそうです。

すると、そこは、ごく普通の民家で、塀には素人が書いたと思われる「劇団表現座」という看板が貼ってあっただけだったそうですが、

愛川さんが、勇気を出してその家を訪ねると、中から30歳くらいの男の人が2人出て来たそうで、

劇団員募集のポスターを見て来ました

と、言うと、

君がかい?年はいくつ?

と、聞かれたため、

高校1年です。

と、答えたそうですが、

芝居やりたいの?

と、聞かれた時は、何も答えることができなかったのだそうです。

すると、

そうだよね、だから来たんだろうね。でも君はまだ子供だ。まあいいか。やる気があるんだったらいいよ

でもね、いきなり俳優ってわけにも行かないよ。それからお金は出ないぞ

来月に浦和の公会堂で公演があるから裏方を手伝ってくれるかい。でも、もう一度言うけどお金は出せないよ。それからやめたくなったらやめてもいいよ。

と、2人の男の人は交互に言ったのだそうです。

(この男の人2人はその劇団の中心人物の早川さんと小田さんという人で、この時「俳優養成所」の生徒でもあったそうです)

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「自立劇団表現座」での裏方の仕事が楽しくて仕方なかった

こうして、愛川さんは、早速、庭で劇団の人が作っている大道具に紙を貼ったり、泥絵具で壁の下地の色を塗ったりと、手伝いを始めると、色を塗るのがうまいと褒められたそうで、

このことがきっかけとなり、愛川さんは、大道具から小道具、そして舞台の裏方の仕事をするようになったそうですが、あまりにも楽しかったことから、すっかり高校へは行く気がしなくなっていったのだそうです。

(愛川さんは、中学時代、頼まれるがままに、闇市で、看板を作ったり、お品書きなどを書くアルバイトをしていたそうですが、このことは黙っていたそうです)

「愛川欽也は高1の時「俳優養成所」の試験を受けていた!」に続く

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