1969年、ラジオ番組「セイ!ヤング」の初代パーソナリティーに抜擢されると、その軽快な話術でたちまち若い世代の心をつかみ、以降、50年もの間、活躍してきた、みのもんたさんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんなみのさんの奥さんをご紹介します。
「みのもんたはパーキンソン病だった!」からの続き
妻は立教大学放送研究会の後輩だった
みのさんは、1970年、25歳の時、一般人の靖子さんと結婚しています。
みのさんは立教大学時代、同じ放送研究会の後輩だった靖子さんと知り合い、交際に発展したそうで、就職活動で志望していたアナウンサー試験が全滅になった時には、周囲から、アナウンサーになるのは無理だと言われる中、靖子さんだけは前向きに応援してくれたそうで、
そんな靖子さんの助言で、1967年、22歳の時、ラジオの文化放送の採用試験を受けると、見事合格したそうです。
そして、1969年、24歳の時には、「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに大抜擢されると、軽快なトークが若者の心を掴み、たちまち人気司会者となったことで、翌年の1970年、靖子さんと結婚したのだそうです♪
妻・靖子の後押しで文化放送を退職していた
その後、奥さんは、みのさんの専属スタイリストとして、みのさんを公私ともにサポートしていたそうですが、
結婚から3年後の1973年、みのさんが「セイ!ヤング」を降ろされて、スーパーの店頭販売に配置転換させられ、プライドが引き裂かれる日々の中、6年後、ついに我慢が限界に達し、奥さんに会社を辞めたいと打ち明けたところ、
(会社を辞めようかと悩むも、奥さんや子供たち家族がいるため決心がつかなかったそうです)
奥さんはすでに察しており、覚悟を決めていたそうで、奥さんの後押しを受けて、文化放送を退職するに至ったそうで、みのさんはいつも、気丈な奥さんに励まされていたそうです。
妻・靖子はみのもんたの不倫騒動の火消し役も買って出ていた
さらに奥さんは、みのさんの「不祥事」の火消しにも一役買っていたといいます。
というのも、みのさんは、1991年5月、情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」のアシスタントの高橋佳代子アナウンサーとの不倫疑惑を、写真週刊誌「FLASH」に報じられ、これを否定しているのですが、
(みのさんは、1989年4月に「午後は○○おもいッきりテレビ」の司会に抜擢されると、番組は高視聴率を記録し、一躍、人気司会者としての地位を確立しました)
その際には、奥さんから、
未婚の女性(高橋アナ)にご迷惑をおかけしたことは、申し訳ないことなのよ
と、正座させられて、怒られ、
そのうえ、奥さんは、迷惑をかけたテレビ局へ、みのさんと一緒にお詫び行脚(あんぎゃ)をして頭を下げて回ったそうで、そんな奥さんの内助の功のお陰もあり、やがて騒動は静まったのだそうです。