大学時代、宇崎竜童さんのお陰で対人恐怖症を克服したという、阿木燿子(あき ようこ)さんは、その後、宇崎さんの猛アタックで交際をするようになると、宇崎さんからは会う度にプロポーズされたそうで、やがて結婚します。

「阿木燿子と宇崎竜童の馴れ初めは?」からの続き

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26歳の時に宇崎竜童と結婚

明治大学に入学した直後に、宇崎さんに声をかけられて軽音楽部に入部すると、やがては、宇崎さんに猛アタックされ、宇崎さんと交際するようになったという阿木さんは、

宇崎さんからは、会うたびに、

結婚しよう

と、プロポーズされたそうですが、

そのたびに、

もう少し待って

と、なかなか結婚への決断ができなかったそうです。

それでも、宇崎さんから、「これはもう神様が決めたことだから」と説得され続けるうち、

(阿木さんは、前世や運命ということに全くピンとこなかったそうですが)

双方の両親が「そろそろ(結婚したら?)」と言い出したこともあり、出会ってから7年後の1971年12月、26歳の時、ついに結婚したのだそうです。


宇崎さんと阿木さん。

(阿木さんは、大学4年生の時、10単位足りず卒業できなかったそうですが、音楽に専念するため大学を中退すると、その後は、仕事をしながら、時々、宇崎さんのために詞を書いていたそうです)

宇崎竜童にとって阿木燿子は母であり娘のような存在

ちなみに、後に宇崎さんは、阿木さんについて、

たとえば、何か新しいことを始めようと思っているときに、なかなか決断できなくて逡巡していたとします。そんなとき相談を投げかけると、彼女は『なるほど!』と思う答えを出してくれる。

そのときの彼女は、妻でも、作詞家でもない。彼女の答えには“母なる言葉”というか“母なる輝き”があるんです。

そうかと思うと、彼女が地方の仕事や旅行に行くときは、僕が車で、駅や空港まで送り迎えする。そのときの僕は、娘を幼稚園や学校に送迎する父親の気分です

と、語っており、

宇崎さんにとって阿木さんは、作った楽曲を最初に聴いてくれる観客であり、母であり、娘でもあるようです。

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宇崎竜童が反対を押し切って「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」でデビュー

さておき、宇崎さんは、結婚後も職を転々としていて、貧しい暮らしが続いたそうですが、そんな中、翌年の1972年には、宇崎さんが突如、「歌手デビューをする」と言い出したそうで、

阿木さんは、

歌手はイケメンか歌が上手い人がなるものなのに

と、反対したそうですが、

1973年、宇崎さんは、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成し、ファーストシングル「知らず知らずのうちに」でデビューしたのだそうです。


「知らず知らずのうちに」

「阿木燿子は昔「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒットしていた!」に続く

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