「戦場のメリークリスマス」を製作するにあたり、国内で負担する製作費は、「テレビ朝日」と「松竹」からの出資を取り付けるほか、自宅を担保に入れて個人的に借金するなどして調達した、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、今度は、イギリス側が負担する製作費の資金調達に難航します。
「大島渚は「戦場のメリークリスマス」の為に全財産をはたき借金していた!」からの続き
イギリスでの資金調達の為にテリー・グリンウッドをエグゼクティヴ・プロデューサーとして迎える
「戦場のメリークリスマス」を製作するにあたり、国内で負担する製作費については、なんとか目処がつくも、今度は、イギリス側が負担する製作費の調達が難航したそうで、プロデューサーのジェレミー・トーマスさんには、当時、まだ、戦争映画の企画を実現させる力量が不足していたため、なかなか出資者が見つからなかったのだそうです。
そこで、大島さんに頼まれた「ヘラルド・エース」の原正人さんが、ジェレミーさんとも面識があり、資金調達にも長けているという、イギリスの映画プロデューサーであるテリー・グリンウッドさんを誘い、(原さん同様、エグゼクティヴ・プロデューサーとして)資金を集めることになったそうです。
ジェレミー・トーマスからオーストラリアで撮影することを提案される
そして、1981年12月には、ジェレミーさんが、自身のプロデュース作品「ジェラシー(原題「Bad Timing」)」の日本公開キャンペーンのために来日した際、この機会を利用して、打ち合わせをしたそうで、
ロケ地にフィリピンをと考えていた大島さんは、フィリピンにロケハン(下見)に行った時の写真を、ジェレミーさんに見せたそうですが、意外なことに、ジェレミーさんからは、オーストラリアでの撮影を提案されたそうです。
というのも、ジェレミーさんは、すでにオーストラリアでの撮影経験があり、オーストラリア国内を移動するだけで、映画の舞台となるジャワと南アフリカに見立てた場所で撮影ができることを知っていたそうで、これを聞き、大島さんも同意。すぐに、オーストラリアでの撮影を検討することになったのですが・・・
イギリスでの資金調達を断念しオーストラリアかニュージーランドで「タックス・シェルター」を利用することに
一方、イギリスでの資金調達は、資金調達の達人と言われていたテリー・グリンウッドさんを以ってしても無理という結論が出たそうで、「戦場のメリークリスマス」は、もはや、製作中止かと思われたのですが、
そんな中、ジェレミーさんとテリーさんから、「タックス・シェルター」という制度を利用して、オーストラリアかニュージーランドで資金調達を提案されたといいます。
(※タックス・シェルターとは、現地の撮影機材やスタッフを使って現地で撮影をすれば助成金が出るほか、現地の投資家がファンド出資することにより、税制面の優遇措置が受けられる制度(つまり節税対策))
「大島渚の「戦メリ」はニュージーランドのタックス・シェルターを利用していた!」に続く