1960年、「ろくでなし」で監督デビューすると、以降、「エロス+虐殺」「煉獄エロイカ」「戒厳令」の日本近代批判三部作で注目され、大島渚監督、篠田正浩監督らとともに、“松竹ヌーベルヴァーグ”と称された、映画監督の吉田喜重(よしだ よししげ)さん。
そんな吉田喜重さんは、2歳の時にお母さんが亡くなり、6歳の時にはお父さんが再婚したそうで、映画好きの新しいお母さんには、よく外国映画を観に連れて行ってもらったそうですが、その後、東京大学文学部仏文科に入学すると、文学の道を志していたといいます。
しかし、そんな中、お父さんが、突然、失明したことから、経済的なことを考えて大学院進学を断念し、就職することにしたそうですが、当時は不景気でなかなか求人がなく、ようやく松竹の助監督募集の張り紙を見つけ、迷わず応募したといいます。
今回は、吉田喜重さんの、生い立ち(幼少期から松竹入社まで)をご紹介します。
吉田喜重のプロフィール
吉田喜重さんは、1933年2月16日生まれ、
福井県福井市の出身、
学歴は、
順化小学校
⇒旧制県立福井中学校
⇒都立城南中学校(転校)
⇒城南高校(学校改革による)
⇒東京大学文学部仏文科卒業
ちなみに、吉田喜重は本名ですが、名は「きじゅう」と音読みされることが多いそうです。
吉田喜重は2歳の時に母親と死別していた
吉田喜重さんは、明治、大正にかけて絹織物で栄えた福井県福井市佐佳枝下町で誕生すると、おじいさんが絹織物商として財を成しており、幼い頃は、絹を扱う店が軒を並べる家で育ったそうですが、
吉田喜重さんが2歳の時には、お母さんが他界してしまったそうです。
吉田喜重が6歳の時に父親が再婚していた
ただ、吉田喜重さんが6歳の時(小学校に入学する時)には、お父さんが再婚したそうで、新しいお母さんは東京の人で、とても映画が好きだったことから、吉田喜重さんによく映画を観せてくれたそうです。
(まだ、太平洋戦争が始まる前だったことから、モダンなお母さんが観せてくれた映画の多くは外国映画だったそうです)
吉田喜重は12歳の時に福井大空襲を経験していた
その後、太平洋戦争が始まると、1945年7月19日~20日にかけての深夜(12歳)、B29爆撃機120機が飛来したことで、福井市は全焼し、吉田喜重さんの家族も一家離散となったそうですが、
幸いなことに、家族全員無事に生き延びることができたそうです。(福井大空襲)
吉田喜重は14歳の時に東京に転居していた
ただ、家が焼失してしまったため、終戦から1年半が経った1947年3月、吉田喜重さんが14歳の時には、お父さんが戦前から親しんできた東京に移り住む決意をし、一家で東京・田園調布へ転居したそうで、
吉田喜重さんは、同年4月、東京港区六本木にあった都立城南中学校に編入すると、その後、城南高校に進学したそうです。
(都立城南中学校に在学中、学制改革により城南高校となったそうです)
ちなみに、吉田喜重さんは、高校時代、フランス語を習うためアテネ・フランセへ通い、フランス映画をよく観ていたほか、演劇部には入らなかったものの、自作の演劇脚本を文化祭で上演するなどの活動をしていたそうです。
また、NHKラジオに詩を投稿して賞金を貰ったりもしていたそうです。
吉田喜重は18歳の時に東京大学文学部フランス文学科に進学していた
そんな吉田喜重さんは、1951年、18歳の時には、東京大学文学部フランス文学科に進学し、1955年3月、22歳の時に卒業すると、その後、大学院に行きたかったそうですが、
この年の秋、お父さんが、突然、失明してしまったそうで、経済的なことを考え、就職することにしたのだそうです。
吉田喜重は22歳の時に「松竹」に入社
とはいえ、当時は、朝鮮戦争が終結して、その反動から極度の不景気となっており、文学部もその煽りを受けてか、求人募集は皆無だったそうで、
ようやく年末の12月に、松竹株式会社が助監督を募集するとの張り紙を見つけると、迷わず応募したそうです。
こうして、入社試験を受けた吉田喜重さんは、幸い、第一次の筆記試験、大船撮影所での面接試験を、共に合格したそうですが・・・
文学の世界を捨てきれずにいたそうで、渡辺一夫教授に、
映画の世界に行くべきか、迷っています
と、相談すると、
渡辺一夫教授には、
一度映画の仕事を経験してみてはどうですか。もし自分に合わないと思ったら、大学に帰ってくれば良い。大学はいつでも門戸を開いています
と、言われたそうで、
渡辺一夫教授に背中を押される形で、1955年4月、22歳の時に、「松竹」に助監督として入社したのだそうです。
「【画像】吉田喜重の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
「ろくでなし」「血は渇いてる」「甘い夜の果て」「秋津温泉」「嵐を呼ぶ十八人」などの作品を発表すると、”松竹ヌーベルヴァーグの旗手”と称された、吉田喜重(よしだ よししげ)さん。 今回は、そんな吉田 …