2歳の時に、「江戸っ子 健ちゃん」で映画デビューして以来、数々のコメディ映画やテレビドラマに出演し、その愛くるしい自然体の演技で、”天才子役”と呼ばれるようになった、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、今回は、そんな中村さんの子役時代のエピソードをご紹介します。
「中村メイコは「テレビ朝日」開局当初からTV出演していた!」からの続き
愛くるしい自然体の演技で「天才子役」と呼ばれていた
中村さんは、2歳の時に、「江戸っ子 健ちゃん」で映画デビューすると、その愛くるしい自然体の演技で、”天才子役”と呼ばれるのですが、
中村さんによると、「P.C.L映画製作所」(東宝の前身)では、手持ちカメラ3台で自由に撮影していたため、カチンコで撮影スタートというのがなく、とても自由な雰囲気で撮影していたそうで、そのような現場だからこそ、緊張せずに、(ほとんど素の状態で)のびのびと演じることができ、自然体の演技につながったのではとのことでした。
カチンコ
1人で12役を演じ分け「七色の声」と呼ばれていた
そんな中村さんは、複数の配役もこなし、”七色の声”と称されるようになるのですが、もともと、1953年、子供向けの童話的な朗読劇であるNHKラジオ「お姉さんといっしょ」(1953~1957年)に出演した際、
地声で台本を読むのはつまらないと思い、主人公の男の子「たっちゃん」、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんほか、登場人物の声を1人で12役演じ分けてみたことがきっかけだったそうで、
中村さんとしては、技術的に12役を演じ分けようと考えていたわけではなく、それぞれの役になりきったつもりで、夢中で演じていただけだったそうで、
例えば、主人公のたっちゃんは5歳なのですが、実際の5歳の男の子の話し方ではなく、聴いている人が5歳の男の子をイメージする話し方を意識して声を出していたのだそうです。
子役の時の出演料は父親の意向で現物支給だった
ところで、そんな中村さんの子役時代の出演料は、「子供のうちから出演料をお金で頂いてはいけない」との、お父さんの意向により、現物支給だったそうです。
(お父さんは、中村さんに次々に仕事が舞い込む中、「出たいかどうかをまずメイコに聞け。メイコが嫌がっているのに出演させるようなステージママにはなるな」「子どもに金を稼がせるものじゃない。お金はいただくな」と、この2つをお母さんに徹底させていたそうです)
そのため、デビュー作「江戸っ子健ちゃん」の時の現物支給はおもちゃ、その後、戦争が始まりそうになり、だんだん物がなくなってくると、お母さんの意向で上等なビロードの生地のワンピースやエナメルの靴、そして、いよいよ物が手に入らなくなると、砂糖や米に変わっていったそうです。
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