“天才子役”や”七色の声”と称されるなど、幼い頃から芸能界で活動していた、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、一律な学校教育が大嫌いだった、ナンセンス作家であるお父さんの中村正常さんの教育方針もあり、小学校にはほとんど通っていなかったそうですが、たまに学校に行くと、人だかりができて危険と、なんと、孔雀の檻に閉じ込められていたといいます。
「中村メイコは天才子役と呼ばれていた!」からの続き
小学校では休み時間に校庭の孔雀の檻に入れられ鍵をかけられていた
中村さんは、もともと、一律な学校教育が大嫌いだった、ナンセンス作家であるお父さんの中村正常さんの教育方針で、ほとんど小学校には通っていなかったそうですが、たまに、暇な日に学校に行くと、「わー、中村メイコが来た!」と騒がれ、休み時間に校庭に出ると、すぐに人だかりができ、突き飛ばされたりしたそうで、
やがて、それを見た先生からは、休み時間になると、「危ないからここへ入ってなさい」と、なんと、校庭の隅にあった丸い孔雀(くじゃく)の檻(おり)に入れられ、鍵をかけられるようになったそうです。
(先生はそのまま職員室に行ってしまったそうです)
そのため、中村さんは、縄跳びやドッジボールなど子供の遊びはしたことがなく、孔雀の檻から、「あぁ、普通の子供はああやって遊ぶんだ」と、みんなが遊ぶのを見ていたのだそうです。
(中村さんは、孔雀の檻に入れられ、複雑な気持ちだったそうですが、孔雀は怖くなかったため、「外にいるよりかはましかなぁ」と思っていたそうです)
芸能界の大先輩が「学校」だった
ただ、小学校よりも多くの時間を過ごした芸能界では、大先輩に様々なことを教わったそうで、4、5歳の時には、「日本の喜劇王」と呼ばれたエノケンこと榎本健一さんに、
おじちゃまのなさること、すっごくおもしろいんだけど、どうしたら人を笑わせることができるんですか?
と、聞いてみると、
榎本さんは、
それは、究極だよ
と、教えてくれたそうです。
榎本健一さん。
ただ、中村さんは、まだ、「究極」という言葉の意味が分からなかったため、お父さんに聞いてみると、
お父さんには、
それは、うんとお腹がすいてるとか、うんとおしっこに行きたいとか、そういうことを動作に出すと人は笑うということだろう
と、教えてもらったのだそうです。
徳川夢声には漢字を教わっていた
また、弁士で漫談家・作家・俳優でもある徳川夢声さんからは、難しい漢字を教えてもらったそうで、旅公演での宿泊先の日本旅館の床の間には、大抵、掛け軸が飾ってあり、難しい漢字が並んでいたそうですが、
徳川さんには、膝の上に載せられて、
メイコちゃん。これ黙って見てて、どういうことが書いてあるか、だいたいでいいから想像してごらん
と、言われたそうで、
中村さんが好き勝手なことを言うと、正解を教えてもらったのだそうです。
徳川夢声さん。
古川ロッパには英語を教わっていた
そして、英語がとても堪能だったという、当時の代表的なコメディアンだった、古川ロッパさんからは、英語の発音やアクセントを教わったそうで、
中村さんは、
すごい教授さんたちに教わったことが、今も役立っています。
と、語っています。
「中村メイコは子役時代に列車が爆撃を受けるも九死に一生を得ていた!」に続く
舞台「フクちゃん」出演時の古川ロッパさん(左)と中村さん(右)。