小学校卒業後は子役を辞め、中学・高校時代は芸能活動とは無縁の生活を送って、お笑いなどをテレビで観る立場になっていたという、せんだみつおさんは、後に、親友でフォークユニット「ビリー・バンバン」の菅原進さんが縁となって、再び、芸能界に入ることになるのですが、今回は、その前に、菅原さんと出会った高校時代についてご紹介します。

「せんだみつおは中学入学後は劇団を辞め普通の学校生活を送っていた!」からの続き

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菅原進(ビリー・バンバン)との出会いは共通の友人

せんださんが菅原進さんと最初に出会ったのは高校生の時だったそうで、せんださんは、当時、法政一高に進学し、小・中学校時代の高木くんという友達が日本大学第二高等学校(日大二高)に進学したそうですが、

ある日のこと、その高木くんと駅で待ち合わせをしたところ、一緒に来ていたのが、高木くんの友達の菅原さんだったそうです。

(高木くんと菅原さんは、高校で席が隣同士だったそうです)

高校時代は菅原進とよくナンパに出かけていた

ちなみに、菅原さんは、当時、東京・国立に住んでいたそうですが、高校生の時からお兄さんの菅原孝さんと一緒に作曲家・浜口庫之助さんの歌謡スクールに通うなど音楽活動をしていて、とてもモテたことから、

せんださんは、菅原さんを利用する形でよくナンパに行ったそうで、菅原さんと学校をさぼり、銀座にナンパに出かけてはナンパした女の子と同伴喫茶に入り、日比谷公園を歩いて丸の内線で帰ってくるというのがお決まりのパターンだったそうです。

一貫校の法政大学を不合格になっていた

そんなせんだは、一貫校だったにもかかわらず、高校卒業後、法政大学に進学するための簡単な試験に落ちてしまったそうで、

お母さんには、「せっかく付属の高校に入れて大学やろうと思ったのに、6割に入れないなんて、お父さんに謝ってきなさい」と泣かれたそうで、

せんださんは、仕方なく、お父さんの部屋に行き、

すいません。 そういうわけで法政大学行けなくなっちゃった

と、言ったそうですが、

お父さんはというと、またしても

でもあれだな、おまえは4割っていう狭き門のほうに入ったんだから、まあいいよ

と、(せんださんいわく)訳の分からないことを言って許してくれたのだそうです(笑)

一貫校だった法政大学が試験で4割は進学出来なくなっていた

ちなみに、それまで、せんださんが通っていた法政一高は、全員、無試験で法政大学に進学できることになっていたそうですが、この時、団塊の世代で人数が多かったことから、PTAがこの制度に反対したそうで、

賛否両論はありつつ、結局、入学試験より簡単な試験を受け、上から6割は試験なしで法政大学に進学し、残りの4割は他校を受験するか、外部からもう一度法政大学を受ける、という方式に変わったそうで、

せんださんは、外部からもう一度受け直すと入学試験が難しいため、試験なしで入学できる6割に何としてでも入りたかったそうですが、試験が振るわず、4割の方に入ってしまったのだそうです。

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駒沢大学に合格

さておき、そこで、せんださんは、駒沢大学を受験することになり、さすがにこの時期は勉強したそうですが、なんと、扁桃腺(へんとうせん)が悪くなり3ヶ月も入院するはめに。

それでも、頑張った甲斐あって、無事、駒沢大学に合格したそうです。

(せんださんによると、頑張ると必ずつまずくのだそうです)

「せんだみつおは若い頃「ビリー・バンバン」でコンガをしていた!」に続く

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