吉本新喜劇の舞台で、思わず叫んだ「やめてチョウダイ」のセリフが、たちまち評判となり、このことがきっかけで、人気芸人の仲間入りを果たした、財津一郎(ざいつ いちろう)さんは、その後、「非っ常にキビシ~ッ!」のギャグも評判となり、さらなる大ブレイクを果たします。
「財津一郎のギャグ「やめてチョウダイ」は心の叫びだった!」からの続き
当初は「チョウダイ」を持ちネタにしようとは思っていなかった
吉本新喜劇の舞台で、思わず叫んだ「やめてチョウダイ」が評判となった財津さんですが、この時は、まだ、「チョウダイ」を持ちネタにしようとは思っていなかったそうで、
ある収録の時、演出を担当していた澤田隆治さんから、
財津さんのチョウダイ、ええわ。連続で言ってみてください
と、言われたことがあったそうですが、
財津さんは、
チョウダイというのは、私の心の叫びです
と、反発したのだそうです。
ただ、澤田さんには、
何を甘っちょろいこと言うとんのや。笑いに厳しい大阪の客が食いついたんやで。チョウダイ、ええがな。3回言って
と、言われたそうで、
なんて青臭いことを言ってしまったのか
と、反省した財津さんは、
チョウダイ チョウダイ チョウダイ チョ~ウダァ~イ
と、4回叫び、スイッチを切り替えたのだそうです。
ちなみに、財津さんは、著書「聞いてチョウダイ 根アカ人生」で、
その時の「笑い」で、お客様にサービスする意味が分かりました。ばかにして笑うわけではない。笑い声は声援。「がんばれや」と応援してくれているのです。
と、綴っています。
「非っ常にキビシ~ッ!」「~してチョウダィ!」のギャグでブレイク
そんな財津さんは、時代劇風人気コメディ番組「てなもんや三度笠」では、浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役を演じていたのですが、
抜いた刀の刃を蛇のようになめまわしたり、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで、甲高い声で叫ぶギャグ、
非っ常にキビシ~ッ!
~してチョウダィ!
も評判となり、一躍、全国区でブレイク。
(「キビシーイッ」は流行語にもなったそうです)
当初、財津さんは、スポット的な出演予定だったのですが、奇人変人ぶりがあまりにも好評だったことから、レギュラーとして、最終回まで出演したそうで、
財津さんは、当時を振り返り、
(大阪は)人情とリアリズムの街。一生懸命やると喜ぶし、駄目なものは駄目と教えてくれる。答えはすぐ出た。
と、語っています。
「非っ常にキビシ~ッ!」をする財津さん。
(「キビシーイッ」の時、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかむ格好は、鏡を見ながら、印象に残る方法を考えていた時に、思いついたのだそうです)
「てなもんや三度笠」は超人気番組だった
ちなみに、「てなもんや三度笠」は、各地を放浪する「あんかけの時次郎」に扮する藤田まことさんと、時次郎の相棒「珍念」に扮する白木みのるさんの「てなもんやコンビ」が繰り広げる絶妙な掛け合いが視聴者に大ウケし、平均視聴率37.5%、最高視聴率64.8%という驚異の数字を叩き出した超人気番組だったそうで、
(音楽以外は、生の舞台のままテレビ放映されていたそうです)
スポンサーが大阪府堺市の前田製菓だったことから、
番組の終わりで藤田さんが言う、
俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー
という、決め台詞も流行語になったそうです。
「てなもんや三度笠」より。(左から)藤田まことさん、財津さん、白木みのるさん。
常に謙虚な姿勢でいることを心がけていた
さておき、時代劇風人気コメディ番組「てなもんや三度笠」に出演中、「非っ常にキビシ~ッ!」「~してチョウダィ!」のギャグで大ブレイクした財津さんは、全国区の有名人になり、大勢の人の目にさらされる生活が始まったそうですが、
ある先輩に、
重心を低くしろ。上から人を見下ろしても、人の気持ちはわからないぞ
と、言われたそうで、
このアドバイスに従い、どんな時でも目線を低くし、謙虚に世間に溶け込むように心がけていると、人の気持ちも分かるようになっていき、また、大勢の人の目にさらされても、トラブルにも巻き込まれることもなかったのだそうです。
(他の先輩からは、「芸人は目立ってなんぼ。派手な背広で歩け」と言われたり、街を歩いていて何人に声をかえられたかを競うような習慣もあったそうです)
吉本新喜劇の座長になってようやくコメディアンとし食べていけるようになる
それでも、しばらくは、極貧生活が続いたそうで、1965年に吉本新喜劇の座長に就任し、ようやく、コメディアンとして食べていけるようになったそうですが、
座長に就任してからの最初のお給料日では、「これからも頑張りなはれ」と言われて、机に置かれた給料袋が(お札で)立っていたそうで、この時の感動は今でも忘れられないそうです。
「財津一郎は藤田まことから「受けの芝居」を学んでいた!」に続く