「日劇」で舞台進行係として働く中、役者になる夢が諦めきれず、歌手の藤山一郎さんに頼み込んで、藤山さんのショーに端役で出演することを許してもらうも、観客には全くウケず、失敗に終わったという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんですが、その後、勤務していた「日劇」では、何度も恐ろしい出来事に遭遇したといいます。
「森繁久彌は「東宝」入社後は「日劇」で舞台進行係をしていた!」からの続き
「日劇」は「工事に手を抜いた日劇」と噂されトラブルの多い劇場だった
藤山一郎さんに頼み込み、藤山さんのショーで念願の初舞台を踏むも、観客には全くウケず、失敗に終わったという森繁さんは、その後は、また、「日劇」の薄暗い舞台袖で、鬱々(うつうつ)としながら、進行のボタンを押す毎日を送っていたそうですが、
実は、「日劇」は、当時、「工事に手を抜いた日劇」と噂され、「夢の舞台に行くな」と言われるほど、トラブルの多い劇場だったそうで、
- 綱場のロープが切れた
- 約11キロもあるバランスの分銅(フンドウ)が天井から落ちて来た
- スライド式の舞台が動かないうちに下のセリ(舞台の床の一部をくりぬき、そこに昇降装置を施した舞台機構)が上がって来た(そのため、地下にいた何十人というダンサー達が悲鳴を上げた)
- 舞台と客席の間にある何百キロもある防火鉄扉のチェーンがはずれ、家鳴り震動しながら落ちてきた
など、怖いことが多々あったそうです。
「日劇」の地下で血だらけの男が死んでいるのを発見
そんなある日のこと、森繁さんが、定時だった午前10時に舞台事務所に出勤し、いつものように、人気のない、地下2階と3階を見回っていると、湿気臭い地下3階の楽屋窓の向こうに動かない人影が見えたそうで、
おかしなことがあるものだと思いながら、楽屋の窓を開けてみると、薄暗い谷間のような地下3階の窓の底に、なんと、男の人が血だらけで死んでいたというのです。
性器を出したまま死んでいた酔っぱらいに同情していた
森繁さんは、恐ろしさのあまり口もきけず、事務所に飛んで帰り、すぐに交番に電話したそうで、やがて、警官が来ると、一緒に、もう一度、震える足で現場に行ったそうですが、
その男の人は、鼻や頭から血を出し、おまけに性器まで出して倒れていたそうで、森繁さんは、それを見て、再びびっくりしたそうです。
そして、検死の結果、その男の人は、漫画家で、酔っ払った挙げ句、「日劇」の周りを取り囲んでいるコンクリートの塀を、用を足すために乗り越えたものの、
(当時の建物には、塀と建物との境界に砂利やガラスの明りとりがあり、そこに気持ち良く放水したかったのだろうとのこと)
その頃の「日劇」には、砂利やガラスの明かりとりなどはなく、塀を乗り越えると、地下3階までそのまま転落してしまうような構造になっていたそうで、死んでいた男の人は、おそらく、そのことを知らなかったのだろうという結論になったのだそうです。
ちなみに、森繁さんは、そんな哀れな死に方をしたこの男の人について、著書「森繁自伝」で、
なんとあわれなポンチ絵的死に方だろう。私はチン出し旦那にいたく同情した。私だってやりそうなことであるから。
と、綴っています。
(この事件がきっかけとなり、「日劇」には、ほどなくして、ガラスの明りとりの入ったコンクリートが張られたのだそうです)
「森繁久彌は若い頃「日劇」で痴漢退治をさせられていた!」に続く
「森繁自伝」