早稲田大学中退後は、お兄さんのコネで「東宝」に入社した、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんですが、家族からは役者になることを許してもらえず、「日本劇場」に派遣され、舞台進行係の仕事をすることになったそうで、そんな中、たまらず、仕事で知り合った歌手の藤山一郎さんに頼み込み、藤山さんのステージに出演させてもらうことになったといいます。

「森繁久彌は早大中退後は兄のコネで「東宝」に入社していた!」からの続き

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「東宝」に入社後は「日本劇場」で舞台進行係

森繁さんは、役者になりたくて、「東宝」に入社したのですが、大学時代に好き勝手し過ぎたため、親たちの話し合いで、役者になることを許してもらえなかったそうで、

1936年には、「日本劇場」(日劇)に派遣され、役者ではなく、舞台進行係を務めることになったそうです。

(緞帳(どんちょう)のボタンを押して上げる役目だったそうです)

藤山一郎に舞台に出してほしいと頼み込む

そんな中、森繁さんは、たまらず、「日劇」で、歌手の藤山一郎さんのショーの舞台進行係を務めた際、

藤山さんに、

私はあなたの仇(かたき)の早稲田の書生ッポだが(藤山さんは慶應義塾大学)、どうにも役者になりたくて東宝に入社しました。

しかし残念なことに、親たちの話合いで、役者になることは一切まかりならぬと一札入れましたので、ドーランを有楽橋から川へ捨ててここに勤めました。

しかし、そんなことで夢のさめるはずのないことはあなたも分って下さるでしょう。どうかお二人のラブ・シーン に、三枚目でもやらせてください

と、拝み倒すと、

藤山さんは、

いいでしょう、やんなさい。二人が公園でラブ・シーンをするところ、ちょっと邪魔する粋なお巡りさんの役で出たら・・・

と、言ってくれたそうで、

森繁さんが、

ああ結構です、是非お願いします。フランス風にやりますから

と、言うと、

藤山さんからは、

フランス風は結構だけど・・・断わっておくが、舞台進行係が役者になって出てもいいんだね、その辺は自分で責任をもってくれよ

と、言われたそうですが、

大丈夫です!すぐ衣裳やヒゲを借りてきますから、一度テストして下さい

と、(実は、少しも大丈夫ではなかったそうですが)大喜びして、さっそく、「日劇」の主任のS氏にお願いしたのだそうです。

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「日劇」では警察官の役で初舞台を踏むも観客にウケず失敗に終わる

すると、「日劇」は、ちょうど、代替わりしたばかりの劇場だったことから、みんな無責任で、このことが幸いし、S氏の許可を得ることができたそうで、

森繁さんは、通りすがりの警察官の役で出演することになり、工夫に工夫を重ねて初舞台を踏んだそうですが・・・

観客にはまったくウケず、失敗に終わってしまったのだそうです。

(「日劇」は、1933年、収容客数4000人の日本初の高級映画劇場として、当時、斬新だったアールデコ調の内装などの建築様式を取り入れて設立され、「日本映画劇場株式会社」が経営していたそうですが、やがて、経営不振に陥ると、一旦、閉鎖し、その後は、「日活」が経営したそうですが、これも失敗したそうで、その後は、「東宝」が、会社自体を吸収合併したのだそうです)

「森繁久彌は若い頃「日劇」の地下で死体を発見していた!」に続く

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