なにかとお騒がせな元タレントの坂口杏里(さかぐち あんり)さんですが、芸能界復帰を目指しながらも、いまだに夜のお仕事をされているということで、なぜこのようなことになっているのでしょうか。そんな坂口さんのルーツを調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
坂口さんは、1991年3月3日生まれ、
東京都のご出身、
身長167センチ、
体重55キロ、
スリーサイズは、82-59-88、
靴のサイズは24.5センチ、
血液型はB型、
学歴は、
成城学園初等学校
⇒成城学園中学校
⇒堀越高等学校卒業
ちなみに、本名は「野沢瑞恵(のざわ みずえ)」です。
母親は坂口良子
坂口さんは、女優の坂口良子さんと「地上げの神様」と呼ばれた田山恒彦さんの間に誕生するのですが、バブルが崩壊し、田山さんの会社が倒産すると、
なんと、良子さんは、知らない間に40億円もの借金の連帯保証人にされていたそうで、しかも、良子さんの預金はいつの間にか田山さんに引き出されており、すっからかん。
坂口良子さんとまだ赤ちゃんの杏里さん。
こうして、良子さんは、1994年(杏里さん3歳の時)、田山さんと離婚すると、幼い息子(杏里さんのお兄さん)と杏里さんを引き取るのですが、借金返済のために働き通しとなり、家事や子ども達の世話は両親(杏里さんの祖父母)に頼りっきり。
まだ幼かった杏里さんは、良子さんが仕事に行こうとすると、
行かないで
と、よく泣いていたといいます。
芸能界デビュー
そんな杏里さんは、2008年、17歳の時には、良子さんのバックアップのもと、芸能界デビューすると、「踊る!さんま御殿!!」「くりぃむクイズ ミラクル9」「クイズ!ヘキサゴンII」「ロンドンハーツ」「痛快!明石家電視台」などのバラエティ番組に出演し、「踊る!さんま御殿」では、「おバカGO」でグランプリに輝くほど、おバカタレントとして人気者となるのですが、
「踊る!さんま御殿」に出演中の杏里さん。
実は、その影で、お母さんの良子さんが、杏里さんを芸能界に売り込むため、積極的にバラエティ番組などで共演されていたほか、自身の運転で杏里さんの仕事現場に来ては、その場を明るく盛り上げるなど、献身的に杏里さんの芸能活動を支えていたのでした。
お母さんの良子さんと杏里さん。
新しい父・尾崎健夫に反発
ところで、お母さんの良子さんは、1998年に「ジェット尾崎」こと、プロゴルファーの尾崎健夫さんとの交際をスタートすると、翌1999年には交際が明らかとなり、
尾崎さんは、
来年ぐらいには結婚する方向で考えたい
と、真剣交際であることを明かされていたのですが、
当時、まだ7歳だった杏里さんには、お母さんの恋心が理解できるはずもなく、また、お母さんを尾崎さんに取られてしまうとの思いから、
嫌いだ!
と言って、家に遊びにきた尾崎さんにゴミ箱を投げつけたり、良子さんと尾崎さんの写真を破ったりと、二人の交際に強く反対したそうで、良子さんと尾崎さんは、長い長い事実婚へと突入。
(良子さんは、母親よりも、仕事や女として恋を選んだ自分に対する負い目があり、娘のこのような態度を強くたしなめることができず、悩んでいたと言われています)
ただ、10年以上もの時を経て、杏里さんがお母さんの幸せを考えられるまでに成長したことで、2012年8月には、ようやく再婚が叶うと、
披露宴では、杏里さんが、これまで、「おじさん」としか呼ばなかった尾崎さんのことを、初めて「お父さん」と呼んだのでした。
結婚披露宴での尾崎健夫さんと坂口良子さん。
母親の坂口良子が死去
そして、その後3人は、仲良くバラエティ番組に共演するなど、幸せな日々を送っていたのですが・・・
そんな日々も束の間、再婚からたった7ヶ月後の2013年3月、良子さんは、「横行結腸ガン」と併発した「肺炎」のため、57歳という若さで他界されたのでした。
尾崎健夫との家族の絆
実は、杏里さんは、良子さんがガンに冒されていることを、亡くなる直前まで知らされておらず、杏里さんが病院に駆けつけた時には、良子さんはもう話すことができないほど衰弱しており、
杏里さんは、最愛の母の突然の死に、
なんで本当のことを教えてくれなかったんですか。ねぇ、どうして?
と、尾崎さんに泣きすがったそうですが、その後、(血の繋がりのない)家族は一気にバラバラに・・・
しかし、2ヶ月程たった、2013年5月のある日、尾崎さんが杏里さんを、良子さんと一緒によく通った居酒屋に誘い、その後も月に一度、杏里さんを誘うようになると、杏里さんは、そんな尾崎さんの姿に、再び心を許していくようになっていったそうで、
7月下旬には、東京の郊外にある寿司店で、尾崎さんと杏里さんがお酒を飲みながら、良子さんの思い出話しを語り合っているところが目撃されているのですが、
(その寿司店は、尾崎さんが良子さんと交際して間もない頃、一緒に行った店で、良子さんが大好きな店だったそうです)
お二人がカウンターに飾られた良子さんの似顔絵に目を留めると、尾崎さんの目からは涙が溢れたそうで、それを見た杏里さんは、
またぁ、もうすぐこれなんだから!
と笑いつつも、杏里さんの目からも涙が。
そして、杏里さんが、
私がお仕事を頑張ることがママへの恩返しなのよね
と、涙を拭きながら言うと、
尾崎さんも、
おれたちが仲良く頑張らないとな
と、目を真っ赤にして答えていたのだそうです。
こうして、杏里さんは、尾崎さんが、どれほど母親を大事に思い、自分のことも気にかけてくれていたのかを実感し、尾崎さんとの家族の絆を再確認し、少しずつ、母を亡くした悲しみから立ち直って行ったのでした。
ちなみに、尾崎さんは、生前、良子さんから、
自分が死んでも、家族のままでいてほしい。子供のことをお願いします。
と言われていたそうで、その約束を守るため、
自分にできることは、一緒の時間を過ごして、悲しみを分かち合うことだけだ
と、杏里さんを誘うようになったのだそうです。
「坂口杏里と小峠英二の本当の破局理由はホスト豪遊ではなく・・・」に続く