1950年、「第1回ミス日本」「ミス日本」に輝くと、映画会社各社からスカウトが殺到し、「大映」に入社するも、その後、しばらくは、なかなか人気が出なかったという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、1955年、映画「湯島の白梅」で衣笠監督に出会ったのをきっかけに、ついに、大ブレイクを果たします。

「山本富士子は「ミス日本」で映画デビューも当初は人気はいまいちだった!」からの続き

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映画「湯島の白梅」の大ヒットで美人女優として人気に

デビュー当初は、「大映」の強力なバックアップのもと、次々とヒロイン役で売り出されるも、人気はパッとしなかったという山本さんですが、

1955年、泉鏡花の小説「婦系図」を原作とする衣笠貞之助監督作品「湯島の白梅」でヒロインに起用されると、若手二枚目俳優だった鶴田浩二さんを相手に、運命に翻弄されるヒロインを熱演し、映画は大ヒットを記録。

実は、衣笠監督からは、山本さんの日本人形のような美が魅力的に見えるポーズや所作の数々をみっちりと仕込まれたそうで、それが功を奏し、ようやく、山本さんもブレイクを果たしたのでした。


「湯島の白梅」より。山本さんと鶴田浩二さん。

映画「夜の河」の大ヒットで一躍トップスターの仲間入り

そんな山本さんは、1956年にも、衣笠監督の「新・平家物語/義仲をめぐる三人の女」で、3人(京マチ子さん、高峰秀子さん)のヒロインのうちの1人に起用され、

続く、京都の染色工芸家の女性と中年の大学教授との恋愛を描いた、吉村公三郎監督作品「夜の河」では、男性に依存しない誇り高い女性でありながら、愛嬌や色気、気品を兼ね備えた、近代的で爽やかなヒロインを演じると映画は大ヒット記録。

山本さんも、日本の恋愛映画史上において、これまでになかった新しいタイプのヒロイン像を打ち立て、一躍トップスターの座に駆け上ったのでした。


「夜の河」より。上原謙さんと山本さん。

「大映」の看板女優として活躍

こうして、一躍、トップスターの仲間入りを果たした山本さんは、その後も、「日本橋」「月形半平太」「夜の蝶」「氷壁」「忠臣蔵」などに出演すると、

「月形半平太」「夜の蝶」では、京マチ子さんと共演しているのですが、いずれも、大女優に引けをとらない演技を披露し、京さんとともに、「大映」の看板女優として活躍したのでした。

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小津安二郎監督作品「彼岸花」ではコミカルな演技で新境地を開拓

そして、1958年には、小津安二郎監督作品「彼岸花」で、友人の結婚のために一肌脱ぐ、美しいながらも、お茶目でしたたかな面がある、佐々木幸子役を演じると、これまでの作品と違って、コミカルな演技を披露し、女優として新境地を開拓しているのですが、

実は、山本さんの出演は、「夜の河」「夜の蝶」「氷壁」を観た小津監督の希望だったそうで、

(山本さんにとって、この映画は、当時、専属性の厳しい中で、初の他社(松竹)出演となったそうです)

コメディの要素が強い役を演じることを周囲に反対される中、小津監督は変更せずにそのまま山本さんを起用すると、山本さんもその期待に応え、見事に演じきったそうで、

ちなみに、小津監督は、山本さんを美しく撮るのはもちろんのこと、山本さんが本来持つ、品の良いお茶目なところを巧みに引き出し、「大映」映画にはない魅力を開花させたと言われているのですが、

山本さんは、後に、小津監督と初めて出会った時のことについて、

先生とは、大船の松竹撮影所のスタジオの前で初めてお目にかかりました。もう緊張でコチコチになっている私に、先生は、本当に温かい、優しい笑顔で色々話しかけて下さったのですが、私はもう夢中で舞い上がってしまって、何をお話ししたのか全然覚えていないんですよ。

ただ、真っ白なワイシャツに、真っ白なピケの帽子、グレイのズボン姿のおしゃれでダンディーな優しい先生の笑顔は、今もはっきり浮かんでくる程、鮮明に覚えております。

と、語っています。

「山本富士子が若い頃は小津安二郎監督の「彼岸花」にも出演していた!」に続く


「彼岸花」より。

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