父親に俳優の山崎努さん、母親に元宝塚女優の黛ひかるさんを持つ、山崎直子(やまざき なおこ)さんですが、今回は、そんな両親について簡単にご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
山崎さんは、1972年12月8日生まれ、
東京都の出身、
身長167センチ、
血液型はO型、
学歴は、
玉川大学文学部卒業、
趣味は、ヨガ、アロマセラピー、
特技は、英語、フィギュアスケート、
だそうです。
ちなみに、宇宙飛行士の「山崎直子」さんは同姓同名の別人です。
父親は山崎努
直子さんのお父さんの山崎努さんは、19歳の時、芥川比呂志さんの舞台「ハムレット」を観て感銘を受け、俳優を目指して「俳優座」養成所に入所し、演技の基礎を学んだそうで、
「俳優座」養成所を卒業後は、尊敬する芥川さんに誘われ、「文学座」の研究生になると、1962年9月には、「文学座」の準座員となるのですが、1963年1月には、「文学座」が分裂したことから、「文学座」を脱退し、「劇団 雲」の旗揚げに参加。
そんな中、1963年、黒澤明監督作品「天国と地獄」で、誘拐犯役を演じると、頭をかきむしりながら、金網につかまり泣き叫ぶ迫力ある演技で強烈な存在感を示し、一躍トップスターの座に駆け上ります。
そして、その後も、「必殺仕置人」(1973年)の「念仏の鉄」役、金田一耕助シリーズ「八つ墓村」(1977年)の殺人鬼役など、強烈なキャラクターを演じて存在感を示し続けると、以降、数多くのテレビドラマや映画に出演し、
1984年には、「さらば箱舟」「お葬式」で、1987年には、「マルサの女」で「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞」を受賞するほか、数々の映画賞を受賞し、実力派俳優の地位を確立。
2000年には「紫綬褒章」、2007年には「旭日小綬章」も受章されています。
山崎努さん。
母親は「元宝塚歌劇団」の黛ひかる
また、お母さんの黛ひかるさんは、1956年に、「宝塚歌劇団」に入団し、「聯隊の娘」/「春の踊り<美しき日本>」で初舞台を踏むと、翌年の1957年からは、映画にも出演しているのですが、1962年には、「宝塚歌劇団」を退団。
そして、1963年には、NHKのドラマ「アラスカ物語」での共演で知り合った山崎努さんと結婚すると、その後は、一切、表舞台から姿を消されています。
ちなみに、2021年には、骨折し、夫の山崎さんによって老老介助されていることが「女性自身」により報じられていますが、その後、順調に回復し、現在は元気にされているとのことです。
黛ひかるさん。
「山崎直子(女優)のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く