俳優・山崎努さんの奥さんとして、しばしば名前が上がる、黛ひかる(まゆずみ ひかる)さんですが、今回は、そんな黛さんの経歴や山崎さんとの馴れ初めなどをご紹介します。

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年齢は?出身は?学歴は?

黛さんは、1939年2月21日生まれ、
大阪府大阪市住吉区の出身(広島県との説あり)、

学歴は、
兵庫県立西宮高等学校卒業、

ちなみに、黛さんの旧芸名(宝塚時代)は、「黛光(まゆずみ ひかる)」で、お母さんの名前から、お父さんの友人が命名したそうで、宝塚時代は、「ミッチャン」と呼ばれていたそうです。

「宝塚歌劇団43期生」の「星組」だった

黛さんは、1956年、「宝塚歌劇団」に入団し、「宝塚歌劇団43期生」として、「聯隊の娘」/「春の踊り<美しき日本>」で初舞台を踏むと、その後は、「宝塚歌劇団」で活動するかたわら、1957年からは映画にも出演しているのですが、1962年には、「宝塚歌劇団」を退団。

以降、情報がないことから、芸能界からも引退されているようです。

(宝塚では、「星組」に所属していたそうです)

出演作品(映画)

それではここで、黛さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

映画では、

1957年「青春航路」
1960年「お姐ちゃんに任しとキ!」
1961年「喜劇 駅前弁当」
     「駅前団地」
     「女家族」
     「七人の敵あり」
1962年「旅愁の都」
     「ある大阪の女」


「女家族」より。黛さん(左)と新珠三千代さん(右)。

などに、出演されています。

夫は俳優の山崎努

そんな黛さんは、1963年、俳優の山崎努さんと結婚しているのですが、

お二人は、1962年、NHKのドラマ「アラスカ物語」で共演したことがきっかけで、知り合い、交際を開始すると、翌年の1963年に結婚に至ったそうで、結婚式では、このドラマの脚本を務めた石原慎太郎さんが仲人を務めたそうです。


山崎努さんと黛さん。

ちなみに、結婚の翌年の1964年、黛さんは、「週刊女性」(1964年9月16日号)のインタビューで、

二人の約束は、

一、ムリなことを言わない。二、相手のコンディションを考えて助け合う。

この二つを、その場、その問題で解決して行けばいいのではないでしょうか

と、語っていたそうです。

一方、夫の山崎さんは、公の場で黛さんについて話すことは、ほとんどないのですが、自身の友人には、

百点満点の奥さんです

と、よく、自慢していたとのことです。

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結婚後は働いて家計を支えていた

また、黛さんは、山崎さんと交際中に「宝塚歌劇団」を退団しているのですが、結婚後しばらくは、山崎さんに仕事がなく、黛さんが山崎さんに代わって、働き、家計を支えていたそうです。

(山崎さんは、1959年に「文学座」の研究員になると、1962年に「文学座」の準座員となるも、1963年に「文学座」が分裂したことから、「文学座」を脱退し、「劇団雲」の旗揚げに参加。そして、同年、黒澤明監督の「天国と地獄」の誘拐犯役を不気味に演じて強烈な存在感を示すと、一躍脚光を浴び、仕事のオファーが殺到するようになったそうです)

「黛ひかるの骨折が山崎努の休業の原因だった!」に続く

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