東京都知事として、4期14年という長期政権を築かれたほか、歯に衣着せぬ物言いでお馴染みの、石原慎太郎(いしはら しんたろう)さんですが、実は、大学在学中の1955年、「太陽の季節」で文壇デビューすると、いきなり、「第1回文學界新人賞」「第34回芥川賞」を受賞し、たちまち時代の寵児になられていました。
年齢は?出身は?身長は?
石原さんは、1932年9月30日生まれ、
兵庫県神戸市須磨区のご出身、
身長183センチ、
体重77キロ、
血液型はAB型、
学歴は、
神奈川県立湘南高等学校
⇒一橋大学法学部卒業
趣味は、ヨット、
だそうです。
デビュー作「太陽の季節」がいきなり芥川賞
石原さんは、公認会計士になるために一橋大学に入学されるのですが、やがて、自身が会計士に向かないことを自覚されたそうで、
休刊していた一橋大学の同人誌「一橋文藝」の復刊に力を注ぐと、この同人誌に、処女作「灰色の教室」を発表。
すると、それを読んだ、文芸評論家の浅見淵さんに絶賛されたそうで、これで、自信をつけた石原さんは、第2作目の「太陽の季節」の執筆を開始。
そして、1955年、「太陽の季節」で文壇デビューされると、いきなり、「第1回文學界新人賞」と「第34回芥川賞」を受賞し、一躍脚光を浴びられたのでした。
ちなみに、この作品は、戦後の裕福な家庭で育った若者たちの、無軌道で享楽的な生活を描いているのですが、戦後社会に大きな衝撃を与え、享楽的に遊びふける若者たちを指す、「太陽族」という言葉が生まれるほどに。
そして、時代の寵児となった石原さんは、翌年、映画化された「太陽の季節」に、
弟の石原裕次郎さんとともに俳優として出演。
石原さんらは、まさしく、「太陽族」のシンボルとなったのでした。
芥川賞受賞直後の石原慎太郎さん(左)と石原裕次郎さん(右)。
多数のベストセラー
そんな石原さんは、その後も、
1956年「処刑の部屋」
「狂った果実」
1958年「亀裂」
1970年「化石の森」
1988年「わが人生の時の時」
1996年「弟」
など、次々と作品を発表すると、様々な文学賞を受賞。
また、創作以外にも、
1969年「スパルタ教育」
1989年「『NO』と言える日本」
1998年「法華経を生きる」
「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)
2002年「老いてこそ人生」
2011年「新・堕落論」
2016年「天才」
などを発表し、いずれもベストセラーとなっています。
映像作家としても
また、1956年、自身の作品「狂った果実」の映画化の際、脚本を担当されると、以降も、自作の小説の映画化やテレビドラマ化の際の脚本を数多く手がけ、
1958年には、映画「若い獣」で初監督を、
「若い獣」の撮影風景。中央が石原さん。
2007年には、「俺は、君のためにこそ死ににいく」で、製作総指揮、脚本を手がけられるなど、
映像の世界でも、その才能を発揮されています。
(左から)多部未華子さん、窪塚洋介さん、岸惠子さん、
石原さん、徳重聡さん、中越典子さん、新城卓監督。
「石原慎太郎は国会議員25年超!都知事は4期14年の長期政権だった!」に続く