大学在学中の1955年に「太陽の季節」で文壇デビューし、いきなり、「第34回芥川賞」を受賞されると、その後も、数々の文学賞やベストセラーを世に送りだした、石原慎太郎(いしはら しんたろう)さんですが、1968年には、一転、政治家となられます。

「石原慎太郎の若い頃は芥川賞作家!著書は?ベストセラーも多数!」からの続き

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国会議員を25年超

作家として大成功を収めた石原さんですが、ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、1968年には、参議院全国区に出馬すると、史上最高の301万票を集めてトップ当選。

その後、1972年には、参議院議員を辞職し、衆議院選挙に当選すると、

1976年には、福田赳夫内閣で「環境庁長官」に就任。
1987年には、竹下登内閣で「運輸大臣」に就任。


運輸大臣時代の石原さん。

そして、1995年、衆議院議員勤続25年の表彰を受けると、その日に辞職を表明されたのでした。

(ちなみに同年芥川賞選考委員になられています)

東京都知事を4期14年

そして、その4年後の1999年4月には、東京都知事選挙に出馬すると、見事、初当選。

(実は、1975年にも出馬されているのですが、この時は、美濃部亮吉氏に僅差で敗れています。)

その後、2003年には、史上最高の得票率70.21%を獲得して再選されると、2007年には、281万票を獲得し、都知事選3選目、2011年には、都知事選4選目と、4期14年の長期政権を築き、様々な政策を推し進められています。


2007年、都知事3選を果たした石原さん。

「日本維新の会」代表や「次世代の党」最高顧問も政治家引退

しかし、2012年10月、4期目途中で都知事職を辞任されると、同年、「日本維新の会」代表に就任。

衆議院議員として、17年ぶりに国政に復帰されます。


辞職表明された石原さん。

そして、2014年8月には、「次世代の党」の最高顧問に就任されるも、同年12月、高齢による体調不良を理由に、政治家を引退されたのでした。

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暴言、失言

ところで、石原さんといえば、歯に衣着せぬ大胆な発言が多いですが、
ここで、いくつかご紹介しましょう。

不良外国人がたくさんいて、東京の街は他の大都市と違って、部分的にゲットーみたいなものが出来てしまった(2000年)

一番の安全保障は優秀な兵器を作って外国に売ることだと思う(2000年)

日本は堂々と新しい兵器を作ってどんどん売ったらいい(2000年)

国会ですべきことは、いまの憲法を歴史的に否定すること(2000年)

あなた方の子弟が通っている国立の学校は、決して日本の中で、平均的なものじゃない。かなり異常なものだ、という認識を、持っていただきたい(2000年)

北朝鮮のミサイルが日本に当たれば、長い目で見て、良いことだろうと思った。日本は外界から刺激を受けない限り、目覚めない国だからだ。特に北朝鮮のミサイルが核、生物弾頭を、搭載するとなれば、日本がいかに無防備か理解するだろう(2001年)

いかがでしょう。

確かに、表現は大胆で、暴言と言えるかもしれませんが・・・

我々一般市民が知らない事情を知った上での発言と考えれば、その『表現』などを非難している場合ではなさそうです。

「石原慎太郎の妻は?子供は全員息子!親バカ?」に続く

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