「たのしい科学」で、ポリオ(小児麻痺)をテーマにシナリオを書くことになると、調べるうちに、東京大学医科学研究所の研究者からポリオウイルスを撮影したフィルムを借りることに成功するなど、順調に企画は進み、さらには、演出家が病気になったことで、演出も担当することになり、「ヌーヴェルヴァーグ」風に撮影することを思いついたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんは、当初は、挫折するも、最終的には好評を博したといいます。

「田原総一朗は「たのしい科学」でポリオをテーマにシナリオを書いていた!」からの続き

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「ヌーヴェルヴァーグ」風に撮影するも当初は失敗していた

科学映画を「ヌーヴェルヴァーグ」風に撮影することを思いついたという田原さんですが、(「ヌーヴェルヴァーグ」のように)シャーレや試験管などを手持ちのカメラで撮影すると、画面がぶれてしまったそうで、

撮影したフィルムを演出家に見せると、「こんなの、使えないよ。もう一度、撮り直してこい」と、命じられたそうです。

そこで、プロデューサーのの渡貫敏男さんに、「すいません。もう一回、撮り直したいので、制作費をお願いします」 と、言ったそうですが、断られてしまったそうで、

田原さんは、失敗した責任を取らなければならないと思い、また、この会社にいても全く将来がないと思い、

会社を辞めるしかない

と、辞表を書いたのだそうです。

親友の清水邦夫に自分でフィルムを編集するようアドバイスされる

こうして、せっかく、藤瀬季彦カメラマンが干されていた自分に救いの手を差し伸べてくれたにもかかわらず、そのチャンスを潰してしまった田原さんは、絶望的な気分になって、会社を辞める決心をし、「ラーメン事件」以来、親友となっていた清水邦夫さんに会い、事情を打ち明けると、

(清水さんは、学生時代にすでに賞を取っていたため、「岩波映画製作所」に入社後は、企画部に配属され、最初から、脚本家として一本立ちし、映画の脚本を書いていたそうです)

清水さんは、

どうせ辞めるなら、自分で編集しちゃえば

と、アドバイスしてくれたそうで、

一介の撮影助手に過ぎなかった田原さんは、フィルムの編集を一度もやったことがなかったため、その旨を伝えたそうですが、

清水さんは、

中央区京橋に国立近代美術館フィルムセンターがある。そこに行って、映画のフィルムを借りてこい。それを真似て 編集すればよい

と、教えてくれたのだそうです。

「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手ジャン・リュック・ゴダールの映画を真似て作る

そこで、田原さんは、清水さんのアドバイスに従い、「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手と呼ばれた、フランスの映画監督・ジャン・リュック・ゴダールの映画フィルムを借り、それを真似て作ることにしたそうで、

「ヌーヴェルヴァーグ」の作品のように、手持ちカメラで撮影し、アップからズームでずっと引きながら、「ワンシーン・ワンカット」 で回していくと、編集するフィルムの尺が、2.3フィート、3.4フィートと中途半端になり、俳句で言う、字余りの状態で画面が切り替わったそうで、

田原さんは、自分でフィルムを編集して初めて、「ヌーヴェルヴァーグ」は「字余り」なのだと知ったのだそうです。

(それまでの映画では、まず「ミディアム」(中間ショット)、その後、「アップ」(接近して拡大したショット)、最後に、「ロング」(引いたショット、遠景)という、「映画の弁証法」と呼ばれる編集スタイルが映画作りの基本となっていたそうで、フィルムも、2フィート、3フィート、4フィートなどのように、切りのいいところで画面が切り替わっており、映画制作者はみな、この映画の文法を真似て作っていたそうで、これを打ち破ったのが、「ヌーヴェルヴァーグ」だったそうです)

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「ヌーヴェルヴァーグ」風に自分で編集した作品が放送され好評を博す

こうして、田原さんは、2晩徹夜でゴダールをそっくり真似てフィルムを編集し、ポケットに辞表を入れて、プロデューサーの渡貫さんのところに行き、頭を下げて見てもらったそうですが、

渡貫さんは、「これ面白いじゃないか。じゃあ、番組にしてみるか」と言ってくれたそうで、思いもかけず、1960年12月12日にオンエアされることに。

すると、放送された番組は好評で、田原さんは、このことがきっかけとなり、演出家として仕事をすることになったそうで、

田原さんは、著書「塀の上を走れ 田原総一朗自伝」で、

一時は会社を辞めようと思っていたわけだから土壇場の大逆転というか、非常にラッキーだったとしか言いようがない。どうしようもない撮影助手が一転、一本立ちの演出家に抜擢されるのだから、人生とはまさに不条理である。

と、綴っています。

「田原総一朗は「こんにちは二十世紀」「奥さまこんにちは」の構成をしていた!」に続く


塀の上を走れ 田原総一朗自伝

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