特別少年院の院長に少年Mを紹介してもらい、出所から更生するまでのドキュメントを撮り始めたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、やがて、予想していた事態に陥ったといいます。

「田原総一朗は若い頃ドキュメントで特別少年院の少年を取材していた!」からの続き

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少年Mの要望で撮影を一旦中止していた

少年Mは、田原さんが手配した調理師学校の寮に入ると、昼間働き、夜に授業を受けるという生活を始めたそうですが、

(田原さんは、調理師学校で勉強しているMの映像は撮影できなかったため、学校外でのMを撮影していたそうです)

1ヶ月ほどすると、Mが

撮影をやめてほしい

せっかく 調理師学校に入り、社会復帰のめどがついたのに、カメラに付きまとわれては周囲から浮いてしまう。下手をすると少年院出身であることがバレてしまう

と、言ってきたそうで、

田原さんは、こういう事態になるのではと半ば覚悟していたこともあり、とりあえず、Mの要求を飲み、撮影を一旦中止したそうです。

少年Mが調理師学校を退学させられそうになった際に少年院出身であることを告白させるも・・・

すると、しばらくして、少年院出身の別の少年がトラブルを起こして女性を連れて逃げ込んできたのをMが受け入れ、寮の部屋に泊めたことが問題になり、Mが調理師学校を退学させられることになった旨の連絡が入ったのだそうです。

ただ、この企画を発案した録音担当の安田哲男さんの提案で、

自分は心から社会復帰を願っている。友だちを匿ったのも友だちのことを心配したからだ。自分の過去がバレても仕方がないと思いながら、友情のために敢えてやったのだ

と、Mに、寮生の前で自分が少年院出身だということを話すように言い、

Mがこの提案に従い、涙ながらに寮生の前で告白すると、寮生たちから拍手喝采を浴びたそうで、Mの退学処分も取り消され、

田原さんたちも、調理師学校で勉強するMを撮影することに成功し、テレビで放送できることになったそうですが・・・

少年Mと仲間たちから100万円を要求される

無事に放送でき、ほっとしたのも束の間、放送終了後、

Mたちが、

屋台の仕事をしたいので 100万円を用意しろ

(東京)12チャンネルは、オレたちをさんざん利用したじゃないか。おかげでこっちはメチャクチャにされた。今度は、オレたちのために 100万円出せ

と、要求してきたそうで、

(この頃、Mは、別の理由で調理師学校を退学になっていたそうです)

田原さんは、たびたび、Mたちに、

出てこい

と、言われ、会いにいくはめになったのだそうです。

(当時、田原さんの月給は8万円弱で、100万円は1年分のお給料に当たるため、到底、払えなかったそうです)

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少年Mにたびたび呼び出されて手持ちのお金をせびられていた

ただ、田原さんには、初めから無理と分かったうえでの取材だったため、こうなることもなんとなく予測しており、逃げられないと分かっていたため、Mに会いに行っていたそうですが、

Mたちといろいろなやり取りの末、最後には、テレビ局にまで押しかけられ、さらには、自宅周辺にまで現れるようになったそうで、

(自分がまいた種は自分で刈り取らなければいけないと思い、警察に通報することはしなかったそうです)

Mたちには、その度に金銭を要求され、手持ちのお金を渡していたそうですが、それから、1年半くらいすると、Mたちは田原さんから離れていったのだそうです。

(上司には、「やりたい放題やるから、こんなことになるんだ」と呆れられ、田原さんは、ただただ、申し訳ないと頭を下げるばかりだったそうで、この時、トラブルを引き起こした責任を取って、「東京12チャンネル」をやめようかと悩んだそうですが、悩みに悩んだ末、結局は会社に居続けることに決めたそうです)

「田原総一朗はカルメン・マキに詩の内容通りの生活をさせていた!」に続く

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