作曲家・遠藤実さんに弟子入りを許されると、すぐには歌を歌わせてもらえなかったものの、遠藤さんの家にレッスンに訪れてくる、舟木一夫さんらスター歌手との接触が大きな刺激となっていたという、千昌夫(せん まさお)さんは、ついに、1965年9月、ファーストシングル「君が好き」で歌手デビューを果たすのですが・・・

「千昌夫は高2の時に作曲家・遠藤実に弟子入りしていた!」からの続き

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1stシングル「君が好き」でデビューするも3rdシングル「君ひとり」まで鳴かず飛ばずだった

作曲家・遠藤実さんの内弟子となり、朝早くから深夜遅くまで、部屋の掃除、犬の散歩、遠藤さんが外出する時のカバン持ちとして同行するなどしていたという千さんは、弟子入りから数カ月後の1965年9月、ついに、ファーストシングル「君が好き」でデビューしたそうですが・・・


「君が好き」

まったく売れなかったそうで、同年12月には、2枚目のシングル「若い恋人たち」をリリースするも、やはり、売上はパッとせず。


「若い恋人たち」

そして、1966年には、3枚目のシングル「君ひとり」をリリースするのですが、これも、まったく売れなかったそうです。


「君ひとり」

(wikiでは、3枚目のシングルは、A面が「星影のワルツ」、B面が「君ひとり」となっていますが、もともとは、A面「君ひとり」、B面「星影のワルツ」で、後に、A面とB面が入れ替えられ、再リリースされました)

師匠・遠藤実を怒らせ追い出されていた

そんな千さんは、1966年秋、ちょっとした行動が原因で(具体的に何かは不明)、師匠の遠藤実さんを激怒せてしまい、別棟から追い出されてしまったそうで、レコードは売れないわ、師匠からは追い出されるわで、

さすがの千さんも、この時ばかりは絶望を感じ、田舎に帰って、左官屋として独立していたお兄さんを手伝おうかと、真剣に考えたそうです。

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デビューできてもシングル3枚目までが勝負だった

ちなみに、当時、歌謡界は、全国に何千人という歌手の卵が歌のレッスンに明け暮れ、デビューのチャンスを狙っていたそうで、千さんのように幸運にも歌手デビューできたとしても、歌手として世間に認知されるのは、100~200人に1人の厳しい世界だったそうです。

実際、音楽業界では、これはいける、と思った歌手でも、3枚シングルをリリースして売れなかった場合、あっさり捨てられることが一般的だったそうで、

千さんも、その3枚目までまったく芽が出ておらず、遠藤さんに追い出された理由には、歌手として見込みがないと判断されたこともあったそうです。

(この時の千さんの1ヶ月のお小遣いは約3~4万円だったそうで、世田谷区等々力に借りていたアパート代を支払い、残りを食費と交通費、服代(ほとんど買う余裕はなく着たきり雀だったそうですが)などに支払うとほとんど残らなかったそうです)

「千昌夫が若い頃は「星影のワルツ」が大ヒットするも節約生活を続けていた!」に続く

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