2002年、アイフルのCMに出演したことがきっかけで、たちまち大ブレイクした、清水章吾(しみず しょうご)さんですが、今回はそんな清水さんの生い立ちをご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

清水さんは、1943年2月15日生まれ、
東京都港区の出身、

身長174センチ、
体重65キロ

血液型はA型、

学歴は、
日本大学鶴ヶ丘高等学校
⇒日本大学農獣医学部中退

趣味は、ガーデニング、パソコン、ジャズ、クラシック鑑賞、映画鑑賞、

特技は、ピアノ、即興演奏、トランペット、水彩画、

だそうです。

本名は?旧芸名「花木章吾」の由来は?

清水さんの本名は「清水忠光」というのですが、当初は、師匠だった女形役者の花柳章太郎さんに大変気に入られ、花柳さんの芸名の中から、「花」、「柳」へんの「木」、章太郎の「章」を名乗ることを許され、「花木章吾」と名乗っていたそうです。

(一部の記事で「花柳章吾」が旧芸名と記載されていますが、「花柳」の名前は新派の上位でなければ名乗れないため、これは誤り)

ただ、1965年に花柳さんが他界し、まもなく花柳流を離脱すると、1973年に、「北の家族」で、念願だったNHKドラマに出演できたことをきっかけに、「花木章吾」から「清水章吾」に改名したのだそうです。

妾(愛人)の子だったことからイジメられていた

清水さんは、古美術商のお父さんと、その愛人だったお母さんのもとに誕生したことから(お父さんとお母さんは籍を入れていなかったため)、お父さんを知らずに育ったそうですが、東京・六本木の茶室付きの豪邸に住み、裕福で何不自由なく育ったそうです。

ただ、子供の頃は、「妾(めかけ)の子」とイジメられたそうで、そのせいか、人前に出ると赤面し、言葉がまったく出せなくなるような、ひ弱な子供だったそうです。

ひ弱さを克服するため児童劇団「こじか」に入団

そこで、それを克服するために、15歳の時、児童劇団「こじか」に入団したそうですが、当初は、舞台に立ってもセリフが言えず、舞台袖に逃げ込みそうになることが、しばしばあったそうです。

それでも、すぐに、準主役のドラマが決まったそうで、清水さんは、台本を渡されると、

1ヶ月ぐらい余裕があるかな

と、のんびり構えていたそうですが、

撮影は、翌日から始まったことから、まったく何もできず、役を降ろされてしまったそうで、その悔しさから、主役でなくていいから、きっちり演じて俳優を辞めようと思ったのだそうです。

日本大学農獣医学部に進学するも解剖実習が耐え難かった

その後、清水さんは、大の動物好きだったことから、日本大学農獣医学部に進学すると、同時期、新派を代表する女形役者の花柳章太郎さんに弟子入りしたそうですが、

大学の研修では、解剖実習というのがあり、

世話してると、すぐに犬が僕に懐(なつ)くんだよね。で、最後に肉をあげるんだけど食べないの。筋肉弛緩剤を注射された犬が『助けてくれ』って目で僕を見る・・・。僕にはできなかった

と、犬を殺さなくてはいけないことが辛くてたまらなかったそうで、耐え難く、獣医学部から芸術学部への転部を考えたそうです。

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女形役者の花柳章太郎のもとで役者修行に励んでいた

ただ、師匠の花柳さんから、

大学出は頭でっかちになる

と、言われたことから、大学を中退して、花柳さんのもとで役者修行することを決意し、3年間、修行に励んだそうで、

清水さんは、

あの師匠の下で1年続けば、どこでも通用するという厳しい人でしたから。舞台では色気のある女形だけど、普段は怖かった。でも、弱い自分に打ち勝つためには、人生修行が必要だと思っていたからね

と、語っています。

「清水章吾が若い頃は「噂の刑事トミーとマツ」で三枚目を演じていた!」に続く

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