中学校では、1年から3年までずっと担任だった佐藤裕善先生を慕っていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、中学3年生の時には、クラスメイトみんなで相談し、寄せ書きをした整理ダンスを佐藤先生に贈ったそうです。
「長嶋茂雄は幼少期は小柄も中2の頃から急に背が伸びていた!」からの続き
中学の担任・佐藤裕善先生が一度だけ激怒したこととは?
中学校で1年から3年までずっと担任だった佐藤裕善先生は、名前通り、いつも「ゆうぜん(悠然)」としていて、生徒から慕われていたそうですが、
中学1年生の時には、そんな佐藤先生が、珍しく、授業中に激怒し、みんなにお説教をしたことがあったといいます。
というのも、誰かが教室に野球選手のブロマイドの束を持ち込んだからなのですが、佐藤先生は、それを発見するや、急に厳しい口調で、
みんな正座しろ。椅子じゃない。机の上に、だ!ちょっと話しておくことがある
と、言ったそうで、
長嶋さんも言われる通り、固い机の上に正座し、いったい何が始まるのかと思いながら神妙に頭を垂れたそうです。
すると、佐藤先生は、
・・・いいか。きょう、この教室にプロ野球選手のブロマイドなどを持ってきた生徒がいる。このあいだ、きみたちの将来の希望について調査したときも、ほとんどの生徒が「プロの野球選手になりたい」と書いておった。
とんでもないことだぞ。いいか、プロ野球のスターちゅうのは、千万人に一人しかなれないものなのだ。みんな、もっと地道に自分の将来のことを考えろ
と、怒ったのだそうです。
(当時は、「六三制、野球ばかりがつよくなり」という川柳(皮肉)が流行るほど、みな、野球に熱中していたそうで、長嶋さんも、配られたアンケート用紙に、「プロ野球選手になりたい」と書き込んでいたそうですが、この頃はまだ、本気でプロ野球選手になりたいと思っていた訳ではなく、ぼんやりと夢見ていただけだったそうです。ただ、とにかく理屈抜きで野球が好きで、野球に明け暮れる毎日を送っていたそうです)
とはいえ、後年、長嶋さんが本当にスーパースターになると、佐藤先生は、この時のことについて、
長嶋がプロ野球の大スターになるとは思わなかった。子供の夢を頭ごなしに否定してはならない
と、反省していたそうです。
中学3年生の時には卒業記念に担任の佐藤裕善先生に寄せ書きした整理ダンスを贈っていた
それでも、佐藤先生を慕っていた長嶋さんたちは、中学3年生の時には、卒業記念に何か佐藤先生にプレゼントしようと、クラスメイト47人で相談し、活発に議論した結果、長嶋さんが提案した「みんなが寄せ書き出来るもの」という案が通って、整理ダンスを贈ることが決まったそうで、
タンスの後ろの板や引き出しの裏などにみんなでサインして佐藤先生に贈ると、佐藤先生はとても喜んでくれたそうで、以降、この整理ダンスを家宝のように大切にしてくれたそうです。
(佐藤先生にとっても、初めて受け持ったクラスが長嶋さんたちだったことから、生徒たちへの想いは特別なものがあったそうです)
野球部で一番仲が良かった高橋君にも手紙を贈っていた
そんな長嶋さんは、同じクラスで、野球部で一番仲が良かった高橋くんにも、お別れにあたって、長文の手紙を贈ったそうで、
それは、
桜花らんまんたる四月、私は貴君達と胸を踊らせ、希望に燃えて佐倉中学の校門をくぐりました。それがはや後数日で別れねばなりません。今振り返ってみれば、数々の思い出がくり出され胸がつまるような感じがします。
一番印象に残るのは何んといっても野球でありました。野球といえば郡で優勝し、又さらにブロック大会にまで出場し、あの時の試合に敗戦したのが印象に残ります。
やがて学校を去り、広い広い社会へ進みますが、如何なる艱難(かんなん)にあっても屈する事なく如何なる悲しみにあっても希望の光を見失う事なく、何時(いつ)も微笑して心ひろびろと、周囲を清く明るく、お互いにいきませう。
(中略)
明日の事を思い煩うな、明日は明日みづから思い煩わん、一日の苦労は一日にて足れり
と言う言葉があります。何もかもはっきりと分かる日、正しい者、真面目に努力する者のみが栄える歓喜の世界がやがて来ませう。
スポーツをやるにしろ、何んの運動をやるにしろ、健康第一、雨にも雪にも負けないで、いや雨を喜び雪を楽しむというやうな気持ちで晴々しい日々を迎えるようお祈りします。
何時も明るい太陽の下で、喜び勇んで共に勉学する日をあの美しい夢を描いております。
又あふ日まで、ではさようなら。
千葉県印旛郡臼井町臼井一七番地
佐倉中学野球部主将 長嶋茂雄
というものだったそうです。
「長嶋茂雄はピンチを救う思いから佐倉一高への進学を希望していた!」に続く