高校2年生の時には、プロ野球の一流選手のバッティング技術を盗もうと、後楽園球場に通い、目をサラのようにして観察していたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、帰宅後は、庭の柿の木の下で、そのバッティングを再現しようとバットを振ったそうです。

「長嶋茂雄は高2の時一流選手の打撃技術を盗むべく球場に通っていた!」からの続き

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自宅の庭の柿の木の下でプロ野球の一流選手のバッティングを真似て素振りしていた

プロ野球の一流選手のバッティング技術を盗むべく、後楽園球場に通っていたという長嶋さんは、家に帰ってから再現しようと、目をサラのようにして、しっかりと一流選手たちのバッティングを(まるで「人間ビデオテープ」のように)自分の目に焼き付けたそうで、

(後楽園球場の最寄り駅の)水道橋から電車で帰ると、家に着く頃には、すでに日が暮れていたことから、バットを2~3本さげて、そ~っと足音を忍ばせて庭に出ると、

まずは、(千葉茂さんの癖の)バットをカチンと鳴らし、長嶋さんは右打ちではあるものの、左打ちの川上哲治さんの構えのマネをし、最後は、レフトボールギリギリにライナーのホームランをすくいあげる青田昇さんのマネをして、庭の柿の木の下で、熱心にバットを振ったそうです。

(ネクスト・バッターズ・サークルでバットとバットをカチンと打ち合わせて、のっそりとバッターボックスに歩き出す、巨人軍の名二塁手・千葉茂さんの癖から始めるため、バットは1本ではなく、2~3本持っていたのだそうです)

また、その頃の阪神ダイナマイト打線は、バットを寝かせて構えるタイプのバッターが多かったそうですが、別当薫さんは例外で、メガネをキラリと光らせ、きれいなフォームでホームランを打っていたそうで、打つ前にひょいとバットを起こすクセも合わせて、この柿の木の下でバットを振ったそうです。

自宅の庭の柿の木の下で自分で実況中継しながら素振りしていた

そして、一通りおさらいした後は、いよいよ、長嶋さん自身の独壇場で、

バッターは4番、長嶋です。ゆうゆうとボックスに入ります。構えました。第一球はカーブ。ボールです。・・・カウントはワン・ボール。

さあ、どうでしょう?第二球、ピッチャー投げました。長嶋、打ちました!ボールはぐんぐん伸びております。センター、バック、センター、バック・・・。しかし、あきらめました。ホームラン、長嶋、みごとなホームランです

と、実況中継すると、

夕闇の中で目に見えないはずの白いボールが、確かにはるか彼方へ小さな点となって消えていくのが見えたそうです。

(お父さんやお母さんは、そんな長嶋さんを微笑ましい思いで見ていてくれていたようで、一度もとがめられたことはなかったそうです)

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自宅の庭の柿の木の下で「ジャイアンツの4番」になりきって素振りしていた

ちなみに、長嶋さんは、その時のことを、著書「燃えた、打った、走った!」で、

なにしろ多感な高校2年生である。昼間、後楽園で見てきたばかりのゲームに、そっくり自分をはめこんで陶酔してしまうのもムリはない。当時は、ほかに夢中になれるようなものは何もなかったし、ぼくは人一倍、劇的なものに酔いやすいタイプだったからだ。

ことの良し悪しは問題外だった。

ぼくにとっては、庭の柿の木の下が後楽園であり、バットを振っているのはジャイアンツの4番・長嶋であった。

ときどき熟した柿をふんづけては、ハッと我に返るが、すぐまた自作自演の実況アナウンスを声を殺して始めるのだった。

・・・長嶋、今一塁ベースをまわって、二塁にむかっています。ゆっくりまわっています。いまホームインです。さすが4番バッターです・・・

と、綴っています。

(長嶋さんの自宅の庭には、古い一本の柿の木があり、いつも、この柿の下でスイングしていたそうですが、プロ野球選手になってからも、家に帰ってこの柿の木を見ると、つい、吸い寄せられるように近づき、スイングせずにはいられなかったそうで、それを見たお母さんから、「茂雄は、いつもそれをしなきゃ気がすまないんだね」と、笑われていたそうです)

「長嶋茂雄が高校生の頃はセンター方向にしか打てなかった!」に続く


燃えた、打った、走った!

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