立教大学では、砂押監督から、暗闇の中、素手でノックを受けさせられるほか、重いバットで素振りをさせられるなど、猛特訓を受けていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、やがては、自分が砂押監督に見込まれていると感じるほか、砂押監督のひたむきさに惹かれていったといいます。
「長嶋茂雄が立教大時代は砂押邦信監督から見込まれていた!」からの続き
砂押監督には暇さえあれば走らされていた
砂押監督は、
こら、長嶋。そんな調子でやってると本屋敷を抜けんぞ。負けるな!
と、言っては、
例のやつをやるか
と、愛用の自転車にまたがったそうで、
(「例のやつ」とは、ランニングのことだったそうです)
長嶋さんは、暇(ひま)さえあれば、下半身を強靭にさせるため、走らされたそうです。
そして、長嶋さんが歯を食いしばって走ると、砂押監督は自転車をこいで後を追いかけて来たそうで、長嶋さんが疲れて、少しでも顎(あご)を出しそうになると、自転車のスピードをあげ、
こらっ!それくらいでもうへばったのか
と、手にした竹の棒でつついてきたそうです。
凄まじい回数の素振りを繰り返していた
また、砂押監督の自宅横にある空き地での素振りも、相変わらず続いていたそうで、
(空き地に作られた急ごしらえのボックスは、すっかり長嶋さん専用になっていたそうです)
砂押監督は、石灰でホームプレートに対して直角に新しく3本の線を付け加えると、
うしろの2本は、お前が構えたときのスタンスだ。前の1本はなんだか分かるな?
と、尋ねてきたそうで、
長嶋さんが、
はい。ステップしたときの左足の位置ですね。
と、答えると、
砂押監督は、
そうだ。振ってみろ。
と、言ったそうですが、
長嶋さんの素振りが、砂押さんが頭の中で描いているイメージに一致しなければ、お許しが出ず、時には、1時間も振り続けたことがあったそうです。
(素振りの特訓が終わると、砂押さんの奥さんがお茶とまんじゅうやお菓子などを出してくれたそうですが、へとへとになった後に食べるまんじゅうの美味しさは、言葉では言い表すことができないくらいだったそうで、今でもまんじゅうを見るとこの時の凄まじい素振りを思い出すそうです)
砂押監督のひたむきさに惹かれていった
ちなみに、長嶋さんは、そんな砂押さんについて、著書「燃えた、打った、走った!」で、
シゴキ、と一口にいうが、選手に対して愛情のないシゴキは、単なるイビリでしかない。砂押さんのハード・トレーニングはたしかに過酷だったが、しかし、決して選手に対する意味のないイビリではなかった。
砂押さんには、強烈な信念があり、選手に対する激しい愛があった。
「鬼の砂押」といわれるけど、ぼくはこの人のひたむきさ、熱っぽさに次第にひかれていった。なんの打算もない。一つのことに子供のように夢中で打ち込んでいる人だった。
と、綴っています。
神宮球場への出場を夢見て歯を食いしばって練習に励んでいた
ただ、あまりにも練習に夢中になり過ぎ、長嶋さんは、とうとう、腰が曲がらなくなったそうで、トイレに行ってもしゃがめないため、コントロール(?)に注意しながら半分立ったまま用を足すほどだったそうですが、
それは、杉浦さんや本屋敷さんたちも同様だったそうで、みんなげっそりとやせ、目ばかりギョロギョロさせ、神宮球場の大会に出場するという夢に向かって、歯を食いしばって頑張ったのだそうです。
「長嶋茂雄は新人リーグ戦前に父親危篤の報せを受け取っていた!」に続く