長嶋茂雄(ながしま しげお)さんといえば、誰もが巨人(読売ジャイアンツ)で活躍したスーパースターと知るところですが、実は、当初は、巨人ではなく、南海ホークス(現・ソフトバンク)に入団することになっていたといわれています。
「長嶋茂雄はタイカッブバットで東京六大学新記録8本塁打を達成していた!」からの続き
当初は南海ホークスに入団するつもりだった?
1957年、大学4年生の時、東京六大学野球リーグ戦で新記録となる8本塁打を放った長嶋さんは、その後、数多くのプロ野球球団から誘いがある中、「南海ホークス」(現・ソフトバンク)に入団することが決定していたといいます。
実は、日本シリーズで、度々、巨人に負けていた南海ホークスの元監督の鶴岡一人さんが、雪辱を果たすため、長嶋さんと投手の杉浦忠さんをセットで獲得しようと、長嶋さんが立教大学在学中から、あの手この手を使って、長嶋さんに接触を図っていたそうで、
立教大学の2年先輩で先に南海ホークスに入団していた大沢啓二さん(後に日本ハム監督)らも、長嶋さんを熱心に誘うほか、当時の新聞記者もスカウトとして一役買うことがあったそうで、
某新聞記者も、
鶴岡親分に頼まれて、大阪から東京へ取材で出張するたびに長嶋に土産を渡しに行ったワ。プロ野球関係者だと目立つやろ? だから、ワシが行ったんや。土産の中身?それは言えんなあ
と、意味深な笑みを浮かべており、
これら、熱心なスカウトにより、長嶋さんは、南海に入団することを決意していたのだそうです。
先輩の大沢啓二は激怒
しかし、やがて、長嶋さんは、気持ちが揺れ動き、最終的には巨人に入団することとなったことから、顔をつぶされた先輩の大沢さんは、著書「球道無頼」で、
長嶋のやつ、突然、土下座をしてな、こう言いやがる。
「申し訳ありません。これまで、さんざんお世話になっておきながら・・・。僕を巨人に行かせてもらえませんか。お願いします」
すでに涙声でな。言葉が震えていたよ。一瞬、シーンと部屋中が静まり返った。俺も、もしかしたらと予想はしていたけどな、現実に目の当たりにすると、頭の中は真っ白よ。気がつきゃ、でかい声を張り上げていた。
「なぜだ。理由を言え!」
「申し訳ありません」
(中略)「そりゃねえだろう。男同士の約束だったじゃねえか」
いつしか俺も泣いていたよ。
と、綴っています。
(一方、杉浦忠さんは南海に入団しています)
巨人に入団した理由とは?
ちなみに、長嶋さんが南海ではなく巨人に入団した理由としては、
- 提示された契約金が巨人のほうが高かったため。
- 当時、南海の三塁には蔭山和夫さんがいたことから、守るべきポジションがなかったため。
- 巨人が長嶋さんの家族に接触したことで、お母さんに「せめて在京の球団に」と懇願され、お父さんが他界してからというもの、お母さんが行商などで家計を支えて、野球をやらせてもらっていた長嶋さんは、お母さんの懇願を断ることができなかったため。
と、3つの説が噂されているのですが・・・
最初から巨人に入団すると決まっていた?
長嶋さんは、著書「燃えた、打った、走った!」で、
巨人と契約した直後、東長崎の合宿でぼくは、共同記者会見の場に引っぱりだされた。記者の人たちの質問は、「なぜ、南海を断った?」という点に集中した。
ぼくは、その時こう答えたのを覚えている。「間に入った人が、あまりにも一人合点したんじゃないかと思います。その人にはお気の毒だとは思いますが、ぼくは初めからプロにお世話になるなら巨人、と決めてました」
鶴岡(一人)さん、当時の南海・山本監督には巨人に入団が決まった時に、この間の行き違いをわびに言った。球団とぼくの間ばかりか、間の間に立つ人もいて、余計に事態が複雑になったが、しかし、ぼくの気持ちは巨人に決まっていた。
8ホーマーの新記録をつくった後、いろんな球団から誘いの手が伸び、中には巨人の契約金を上回る現ナマを出してきたチームもあった。だがぼくは、お金のことはなにも考えていなかった。とにかく、自分の力をプロの最高レベルで試してみたい、という気持ちがすべてに優先した。
と、語っています。
「長嶋茂雄はプロデビュー戦で金田正一に4連続三振を喫していた!」に続く
巨人入りが決定しサインをする長嶋さん。