1958年、巨人に入団した年には、開幕戦の国鉄スワローズ戦で、エース・金田正一さんに4打席連続三振を喫するも、153安打3割5厘29本塁打34二塁打92打点89得点37盗塁で、新人王・本塁打王・打点王・最多安打・最多二塁打・最高長打率・最多得点と大活躍した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、本塁打するも、なんと、一塁ベースを踏み忘れ、ピッチャーゴロとされる、大きなミスをしたことがあったといいます。

「長嶋茂雄は巨人入団直後に金田正一に4連続三振を喫していた!」からの続き

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プロ入り1年目から足の速さで活躍するも・・・

長嶋さんがプロ入り1年目の頃は足が速く、100メートルレースではいつも11秒台、黙っていても足だけが勝手に走っているような状態だったそうで、

(そのため、某新聞社から「ハリケーン」というニックネームをつけられたそうです)

大阪球場での南海ホークスとのオープン戦では、セカンドのちょっと右へゴロを転がすと、ごく普通の当たりだったため、二塁手の岡本伊三美さん(後に近鉄監督)はきれいに処理をするも、長嶋さんは、送球がファーストに届く前にベースを駆け抜けていたほか、

(対戦した球団がどこだったか記憶にないそうですが)同じくプロ入り1年目の6月の試合では、ごく平凡なセカンド・フライで、サードからタッチアップし、ホームインしたこともあったそうで、

水原さんから、

お前のやることは、まるでマンガだな

と、妙な褒められた方をされたそうです。

本塁打を放つも一塁ベースを踏み忘れてピッチャーゴロになっていた

そんな長嶋さんは、超特急のような足の速さを持っていたゆえに、何度も考えられない大きなミスをやってしまったそうですが、

デビューした年の1958年9月19日、対広島戦では、鵜狩道夫さんから新人記録となる28号本塁打を放つも、なんと、一塁ベースを踏み忘れて、本塁打を取り消されてしまったといいます。

長嶋さんによると、そのホームランは左中間へロケットのように吹っ飛んで行った特別大きなホームランだったそうで、ホイホイと得意になってベースを一周したそうですが・・・

ついついスピードが乗りすぎてしまい、一塁ベースを踏まずにノンストップで一周してしまっていたそうで、

広島側から、

踏んどらせんがな

と、抗議され、長嶋さんのロケットホームランは「投ゴロ」(ピッチャーゴロ)となってしまったのだそうです。

ちなみに、コーチ陣が総出で繰り出し、審判に食ってかかったそうですが、そんな中、長嶋さんだけはベンチの隅でケロッとしていたそうで、

どうせアウトなんだろう。いいじゃないか。次の打席でまた打ってやるさ

と、不遜なセリフを吐いていたそうです。

(長嶋さん本人は記憶にないそうですが、親友の難波さんに聞いた話のため、間違いないそうです)

新人王を獲得

実際、長嶋さんは、翌日の9月20日には、その言葉通り、大阪タイガース戦で28号ホームランを放って新人本塁打新記録を達成すると、最終打撃成績は、29本塁打・92打点を記録して、本塁打王と打点王の二冠を獲得し、

首位打者は逃したものの、最多安打も記録するほか、盗塁もリーグ2位の37個と大活躍し、見事、新人王に選ばれています。

ただ、ホームランを30本の大台に乗せたのは、それから5年後だったため、後々、この、プロ入り1年目に一塁ベースを踏み忘れたことが、惜しく思うようになったそうです。

(もしこのベースの踏み忘れがなければ、新人としても巨人の選手としても唯一のトリプルスリー(打率3割・本塁打30本・30盗塁)となっていました)

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新人の年から全試合全イニング出場していた

ちなみに、長嶋さんは、デビューした年の1958年、公式戦の全試合、全イニングに出場しているのですが、これは、新人記録としては、1956年の佐々木信也さん(高橋ユニオンズ)以来2人目で、セ・リーグでは史上初だったそうで、

(その後も、1961年の徳武定之さん(国鉄スワローズ)、2017年の源田壮亮さん(埼玉西武ライオンズ)のみ)

長嶋さんは、そのことについて、著書「燃えた、打った、走った!」で、

ペナント・レースの新人王は、もちろんうれしかった。ホームラン王も、打点王も、うれしかった。だが、そういうタイトルにもまして、一年目のこのシーズンに、ぼくがただの一イニングも休まなかったことが、うれしかった。

ぼくは、どんなときでも全力をふりしぼった。時には、結果がダメな場合もあったが、懸命にやった。それが、目に見えない勲章のように、ぼくには思えた。

と、綴っています。

「長嶋茂雄は天覧試合では緊張のあまり足の震えが止まらなかった!」に続く


燃えた、打った、走った!

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