プロ入り1年目から大活躍し、新人王にも輝いた、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、1959年6月25日、後楽園球場で行われたプロ野球初の天覧試合(天皇が観戦する武道やスポーツ競技の試合)でも、サヨナラ本塁打を打っているのですが、実は、試合が始まる前、天皇・皇后両陛下を迎えるため整列している時から、緊張で足が震えて仕方がなかったといいます。

「長嶋茂雄が若い頃は本塁打を放つも一塁ベースを踏み忘れたことがあった!」からの続き

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天覧試合では天皇陛下に期待されていることを知り足の震えが止まらなかった

天覧試合の当日、試合前には、両チームの監督・コーチ・選手全員が内野付近に一列で整列し、貴賓席に現れた天皇・皇后両陛下に一礼をしてから試合が始まったそうですが、

長嶋さんはその時から足が震えて仕方がなかったそうで、その後も、バックネットの真後ろにあったロイヤルボックスの中で腰を降ろされているであろう両陛下の視線が、自分に集まっているような気がして、その方角を仰ぎ見る勇気がなかったそうです。

というのも、新聞には、両陛下のお目当てが「長嶋茂雄という新しいスター」と書いてあったからだそうですが、それでも、期待されているという誇らしさと責任感とを、震えるほどの感動の中で噛み締めていたそうです。

(この日は応援団もカネやタイコの持ち込みを禁じられていたため、スタンドは異様なほどシンと静まり返っており、余計に緊張したそうです)

ピッチャーの藤田元司は何かを伝えようとしていた

そんな中、試合が始まると、3回表ノーアウトで、この試合初めてのランナー・並木輝男さん(阪神)が一塁に出て、次の打者・山本哲也さんを迎えたそうですが、

マウンドの投手・藤田元司さんは、サードの守備位置にいた長嶋さんをチラッと見ると、(何か言おうとして)くちびるを真一文字に引き締め、セット・ポジションに入ったそうです。

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緊張のあまり声がかすれていた

すると、山本さんはゆるいゴロを転がしたそうで、ショートの広岡さんはカモシカのようにダッシュしてキャッチし、二塁に送球しようとしたそうですが、並木さんのスタートが早くて間に合わず、とっさに体の向きを変えて一塁に投げ、山本さんをアウトにしたそうで(一死はとったものの、ランナーは二塁に進塁)、

(この時、阪神の応援団がいる三塁側のスタンドはどよめいたそうです)

広岡さんは、グローブをこぶしでバシッと叩いて、

さあ、ガンちゃん(藤田元司さん)、いこう!

と、声を出したそうですが、

この時、またしても、藤田さんが長嶋さんの方を見たそうですが、今度は真一文字に引き結んでいたくちびるを緩めたそうで、ここでようやく、長嶋さんは、「そうか・・・」と、はっとしたのだそうです。

というのも、長嶋さんの声は普通の人より一オクターブ高い高音だったのですが、この日だけは、緊張のあまり、試合が始まってからずっと、その高音を一度も出しておらず、「さあ、しまっていこう!」という声が、かすれていたことに気がついたのだそうです。

「長嶋茂雄は天覧試合ではサヨナラ本塁打の前に同点本塁打も打っていた!」に続く

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