現在、フリーで、スポーツキャスター、タレントとして活動している、長島三奈(ながしま みな)さんは、当初は、テレビ朝日に入社し、Jリーグやゴルフの取材をするほか、「ニュースステーション」のスポーツコーナーも担当していたそうですが、一番最初に担当した、当時15歳だった柔道の田村亮子(現・谷亮子)さんの全日本選手権の取材が忘れられないといいます。

「長島三奈の長嶋一茂以外の兄弟は?一家団欒は皆無だった?」からの続き

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日本大学を卒業後テレビ朝日に入社

三奈さんは、父・長嶋茂雄さんと母・亜希子さんのもと、4人兄弟(男2女2)の次女として誕生すると、日本大学文理学部哲学科卒業後の1991年には、テレビ朝日に入社してスポーツ局に配属され、

アマチュア担当の記者を経て、Jリーグ(サッカー)やゴルフを取材するようになるほか、「ニュースステーション」のスポーツコーナーも担当しました。

テレビ朝日を一旦退社するもその後、嘱託社員としてテレビ朝日に復帰していた

そして、1998年からは、「長島三奈の熱闘!スポーツM18」「熱闘甲子園」のキャスターも務めるようになったのですが、2000年3月には、体調不良のため、一旦、退社。

ただ、その後、番組関係者から、「『熱闘甲子園』のキャスターだけは続けてくれないか」と懇願されたそうで、2001年2月に嘱託社員としてテレビ朝日に職場復帰し、キャスターを務めると、2014年1月には、再び、テレビ朝日を退社し、以降、フリーで活動しています。

また、2007年(母・亜希子さん他界後)からは、スポーツ局に勤務するかたわら、父・長嶋茂雄さんの個人事務所「株式会社オフィスエヌ」の代表取締役も務めています。

(三奈さんは、当初から記者を目指していたわけではなく、大学生の時、テレビ局への就職を考えた際、子供の頃から器械体操などのスポーツをしていて、見るのも好きだったことから、スポーツの中継を多くやっていたテレビ朝日に入ったらスポーツの現場を近くで見ることができるのではと思い、テレビ朝日の入社試験を受けたそうで、当時は、記者という仕事が全く分かっていなかったそうです)

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最初の仕事は柔道の田村亮子(現・谷亮子)の全日本選手権の取材だった

ちなみに、三奈さんが一番最初に担当した仕事は、代々木体育館で行われた、当時15歳だった柔道の田村亮子(現・谷亮子)さんの全日本選手権の取材だったそうですが、

柔道のルールなどは全く分からないながら、身長150センチほどの小柄な女の子(田村さん)が、背負投げなどで大きな選手をバンバン投げ倒す姿に衝撃を受け、試合後に行われた共同記者会見では、最前列に陣取り、田村さんにたくさんの質問をしたことが今でも忘れられないそうです。

(谷さんは、柔道漫画「YAWARA!」の主人公の名前から、当時、「柔(やわら)ちゃん」という愛称で呼ばれていました)

「長島三奈が若い頃は「熱闘甲子園」でメインキャスターを務めていた!」に続く

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