1962年7月1日、大洋ホエールズ戦ダブルヘッダー第1試合が行われる前の監督コーチ会議で、打撃コーチの荒川博さんが、ヘッドコーチの別所毅彦さんから「王が打てないから勝てない」と責められ、「ホームランならいつでも打たせてみせる」 と大見得を切ったことで、急遽、この日の試合から、「一本足打法」で打つように命じられたという、王貞治(おう さだはる)さんですが、いきなり、本塁打やタイムリーヒットを打つ、大活躍をしたといいます。
「王貞治は荒川博の大見得で一本足打法で打つことになっていた!」からの続き
「一本足打法」がいきなり大当たりしていた
いよいよ後がなくなり、もともと練習用(イメージトレーニング)でしかなかった「一本足打法」に賭けるしかないと、覚悟を決めた王さんは、1962年7月1日、大洋ホエールズ戦ダブルヘッダー第1試合、1回表、第1打席で、
「王は真っすぐは打てない」と思っている、大洋ホエールズの稲川誠投手が、どんどん攻めてくる中、2ストライク0ボールからの3球目、外角カーブを右前ヒットを放つと、
(王さんは、稲川投手が振りかぶるのに合わせて右足を上げ、稲川投手が左足を踏み出したら、右足を踏み出せばいいと考えていたそうで、それが、ポンと当たったのだそうです)
続く、3回表の第2打席も、稲川投手は直球で攻めてきたそうですが、王さんは、すっと立って、稲川投手の動きに合わせて踏み出し、初球内角低めのストレートをバーンと振ると、二本足ではありえなかった勢いで、打球がライトに上がり、スタンドに入ったそうで、
早くも2打席目にして、「一本足打法」初となる本塁打。(10号ソロ本塁打で通算第47号、16試合68打席ぶりだったそうです)
そして、6回表の第4打席、二死満塁の場面では、2ストライク3ボールから、3番手の左腕・権藤正利投手が投げたカーブを、レフト前に走者一掃のタイムリーヒットとし、5打数3安打4打点の大車輪の活躍をしたのでした。
「一本足打法」で大活躍し自身が大きく変わるのを感じていた
そんな王さんは、
この打ち方なら今まで詰まっていた球がさばけるんだ・・・
と、目の前がパッと開けたようになり、もう、それまでの自分ではないと感じたそうですが、
荒川さんからも、帰りの車の中で、
今日、おまえは運をつかんだんだ。それを離すなよ
と、言われたそうです。
「一本足打法」はたった1日で止めていたかもしれなかった
ただ、実は、荒川さんは、後に、
あの日ヒットが出なかったら一本足打法は止めさせていた
と、語っており、
一本足打法は、あくまで、いくつか試した打法のひとつに過ぎなかったそうで、
王さんも、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」に、
第2試合は4打数無安打だったから、ぶっつけ本番で臨んだ1試合目で結果が出たのは本当にたまたまだった。2試合とも無安打だったら、一本足は再びお蔵入りしていたはずで、これも運命の不思議というものだろう。
と、綴っているのですが、
荒川さんは、この日、「荒川ノート」に、
今までのタイミングの取り方をもっと大きくするように王に教えたが、(川上)監督がこれなら打てる、本当に頼もしいと言ってくれたのでちょっと安心した。
・・・このタイミングの取り方はかつて別当や大下選手らいろいろな名選手がやった型である。・・本当に助かったような気がした。
と、記しており、
第1試合での王さんの「一本足打法」での活躍ぶりを川上監督に認められ、「一本足打法」の考えが正しかったことを確信したのだそうです。
「王貞治は一本足打法がハマりホームランを量産していた!」に続く