1980年代、アイドルとして活躍され、現在は女優で、ミュージシャンでもある、原田知世(はらだ ともよ)さん。当時、アイドルとして絶大な人気を誇り、一世を風靡されました。現在もデビュー当時と変わらない、清楚で穏やかな雰囲気は、男性だけではなく、女性からも支持されています。
デビューは?
原田さんは、1982年、「角川・東映大型女優一般募集」のオーディションで、特別賞を受賞され芸能界に入られました。
デビュー当時は、地元・長崎から、お母さんとお姉さんも一緒に上京され、一緒に暮らされていたそうです。
そんな家族のサポートがあってこそ、今まで芸能活動を続けてこられた。
と、原田さんはおっしゃっています。
長い芸能活動の中で、ご自分を見失うことなく、自然な形で女優になられた印象がありますので、やはり、その裏には、ご家族の支えがあったのでしょう。
原田さんは、1982年、14歳の時に、テレビドラマ「セーラー服と機関銃」の主演で、女優デビューを飾られます。
「セーラー服と機関銃」といえば、薬師丸ひろ子さんが主演された映画版が有名ですが、テレビドラマ版では、原田さんが主演されていたんですね~
そして、1983年、映画「時をかける少女」で映画初主演され、原田さんが歌われた主題歌「時をかける少女」は、映画と共に大ヒットを記録しました。
1984年には、「愛情物語」「天国にいちばん近い島」
1985年には、「早春物語」で、
いずれも主演を務めつつ、主題歌も唄われ、その主題歌も大ヒット!
日本中に、原田さん旋風が巻き起こりました。
もう、ここまでいくと、原田さん一人勝ち!ほんと、スーパーアイドルでした。
1987年には、「角川春樹事務所」から独立、お姉さんとともに、個人事務所「ショーンハラダ」を設立され、現在もそちらに所属されています。
その後も、コンスタントに、映画やドラマに出演されたり、アルバムをリリースされたりしています。
結婚!夫の名前は?
そんな原田さんですが、2005年、37歳の時に、イラストレーターで、アートディレクターでもある、エドツワキさんという方と、結婚されました。
お二人は、出会って半年ほどで、電撃結婚されたそうで、
ふたりで温かな時間を過ごしながら、それぞれがずっと探し求めていた、パートナーであることを確信いたしました。
お互いに、これまで独身で過ごしてまいりましたが、なんの予感もなかった、突然の出会いが、完璧なタイミングで訪れたようでした。
と、公式ホームページで、その喜びを綴っておられました。
お二人の馴れ初めなど、詳しいことは分かりませんでしたが、エドさんは、ミュージシャンのアルバムジャケット制作なども、担当されていることから、原田さんとも、お仕事の関係で知り合われたのかもしれませんね。
実際、2009年には、原田さんがリリースされた、アルバム「eyja」のジャケット制作やミュージックビデオの監督もされています。
離婚
しかし、2013年、原田さんは、結婚8年目にして、離婚されています。
原田さんは、公式ホームページで、
突然のご報告ではありますが、原田知世とエドツワキは、それぞれの道を歩んで行くことにいたしました。
これまで通り、というわけにはいかないかもしれませんが、今後は互いを尊敬できる友人として、新たな関係を築いていけると思っています。
と、離婚されたことをファンに報告されています。
仲が良いと評判のお二人だっただけに、突然の離婚で、周囲も驚きを隠せなかったようです。
理由は?
では、いったい、離婚理由は何だったのでしょうか?
調べてみたところ、
「エドさんの収入激減によるもの」
だと言われているようです。
「日刊サイゾー」によると、結婚当初は、バリバリに稼いでいたエドさんのおかげで、原田さんは悠々自適な暮らしができていたそうですが、東日本大震災があり、ボランティア活動に熱を入れられたエドさんの収入は激減。こうして、お二人の生活もすれ違っていき、別居されることになったのだとか。
また、原田さんはもう働きたくなかったとのことで、
14歳からお仕事をされている原田さんですから、
「家庭を持って、奥さんとして暮らしたい」
という気持ちも分かるような気がしますが・・・
さて、いかがでしたでしょうか。
「ブレンディ」のCMでは、いまだに、少女のような瑞々しい雰囲気を見せられるも、NHKドラマ「紙の月」では、パート先の銀行から1億円を着服して恋人の大学生に貢ぐという、初の汚れ役を演じ、新境地を開拓された原田さん。
そんな、原田さんからは、まだまだ目が離せません!!
https://www.youtube.com/watch?v=zOt-CF4gHyc