早くも大学在学中にはプロのミュージシャンとして活動していた、小室哲哉(こむろ てつや)さんは、この頃、既に「SPEEDWAY(スピード・ウェイ)」というバンドを組んで活動していた、木根尚登さんと宇都宮隆さんと出会っているのですが、やがて彼らと「TM NETWORK」を結成すると、「Get Wild」で大ブレイクを果たします。
「小室哲哉の高校時代は?大学在学中にプロミュージシャンに!」からの続き
木根尚登と宇都宮隆との出会い~「TM NETWORK」結成
早稲田大学社会科学部に進学すると、授業そっちのけで音楽活動に勤しんでいたという小室さんは、1980年、22歳の時には、三鷹市にあるフィルキア楽器店主催のコンサートで、当時、「SPEEDWAY(スピード・ウェイ)」というバンドを組んでいた、木根尚登さん、宇都宮隆さん、青木高貴さん(後の「TM NETWORK」のマネージャー)らと出会い、「SPEEDWAY」に加入。
その後、1981年には早くも「SPEEDWAY」を脱退するも、彼らのマネジメントを率先して取り仕切りつつ、数多くのバックバンド・スタジオミュージシャンを務めて、新しい音楽を模索し、
1983年には、木根さんに、バンドではなくユニットという形で音楽活動をすることを打診すると、木根さんも同意。
また、ヴォーカルは、もともと、オーストラリア人の予定だったのが、ビザの期限切れで国外退去となったため、木根さんが宇都宮さんを誘うと、宇都宮さんも同意。
こうして、1983年5月、小室さん、木根さん、宇都宮さんの3人で、「TM NETWORK」が結成されます。
結成当初の「TM NETWORK」
「金曜日のライオン (Take it to the Lucky)」でデビューするも・・・
すると、同年8月には、「TM NETWORK」は、「フレッシュサウンズコンテスト」で、「1974」を演奏すると、満点の評価でグランプリを獲得。
翌年の1984年4月には、ファーストシングル「金曜日のライオン (Take it to the lucky)」、ファーストアルバム「RAINBOW RAINBOW」の同時リリースで、デビューを果たしたのでした。
「金曜日のライオン (Take it to the Lucky)」
そして、1985年には、2枚目のアルバム「CHILDHOOD’S END」
「CHILDHOOD’S END」
1986年には、3枚目のアルバム「GORILLA」
「GORILLA」
1987年には、4枚目のアルバム「Self Control」
「Self Control」
と、リリースしたのですが・・・・
いずれもヒットとはなりませんでした。
「Get Wild」が大ヒット
しかし、1987年に、10枚目のシングル「Get Wild」をリリースすると、テレビアニメ「シティーハンター」のエンディングに起用されたこともあり、たちまち大ヒットを記録。
「Get Wild」
同年リリースの5枚目のアルバム「humansystem」
「humansystem」
翌年1988年リリースの6枚目のアルバム「CAROL -A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991-
」
「CAROL~A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991~」
も大ヒットを記録したのでした。
「小室哲哉は昔プロデュース業専念は一時的なつもりだった!」に続く