1959年の天覧試合で阪神の村山実さんから決勝のサヨナラホームランを放った、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、その後も、チャンスに無類の強さを発揮し、巨人の黄金時代に大きく貢献するのですが、そんな長嶋さんも寄る年波には勝てず、1973年には、川上哲治監督から事実上の引退勧告を受けたといいます。
「長嶋茂雄は天覧試合で村山実からサヨナラ本塁打を放っていた!」からの続き
体力の衰えを痛感していた
1972年、主将を王貞治さんに譲り、兼任コーチとして開幕した長嶋さんは、若手時代には、セカンドフライで3塁からタッチアップでホームインした自慢の俊足も、この頃には、信じれらないほど遅く感じるようになったそうで、
それまでなら、軽く内野安打にしていたはずのゴロも、一塁までの距離が遠く感じられるようになり、走っても走っても一塁に着かず、アウトになったそうです。
また、5月21日の広島戦では、1試合で3回もバンザイしてしまうなど、体力の衰えを痛感するようになったのだそうです。
(1試合で3回のバンザイは、ルーキー時代以来15年ぶりだったそうです)
それでも、シーズン前半は打率3割をキープしたものの、夏の終わり頃には、右ふくらはぎの肉離れに苦しみ、最終的には、自己最低の打率2割6分6厘(27本塁打、92打点)に終わってしまいます。
(三ゴロと遊ゴロが急増した長嶋さんは、「週刊ベースボール」(1972年10月2日号)にも、「長嶋茂雄は限界なのか」という特集を組まれています)
ヤクルト戦では王貞治を5打席連続で敬遠され自分と勝負されていた
そんな長嶋さんは、翌年1973年には、初めて、後輩の王貞治さんに最多4番の座を譲るほか、打率2割6分9厘、20本塁打、76打点と、全体的に成績を落とすのですが、
(長嶋さんは、1958年8月6日に初めて4番に座って以来、毎年、チームで最も多く4番に座っていました(通算1460試合))
1973年8月14日のヤクルト戦では、屈辱的な出来事があったといいます。
それは、この日の4番は王さんで、長嶋さんは5番だったそうですが、ヤクルトのピッチャー・三原脩さんは、なんと、王さんを5打席連続で敬遠し、全て、5番の長嶋さんと勝負してきたのだそうです。
そして、長嶋さんは、1安打こそ放ったものの、得点チャンスの打席ではことごとく凡打してしまったのだそうです。
(長嶋さんは、この結果に、ベンチでヘルメットを投げつけて悔しさを露わにし、試合後は、顔を真赤にしながら、「今日は本当についていない」と嘆いたそうですが、球界の中心が自分から王さんへ変わったことを思い知らされたのだそうです)
川上哲治監督から事実上引退勧告を受けていた
そんな中、広島のロードを終え、いよいよ、明日から、阪神と優勝争いの2連戦が始まる、10月9日の夜、長嶋さんは、久しぶりに川上監督と食事をしていたそうですが、
その席上で、川上監督に、
おれは今年限りで辞めさせてもらうぞ。あとは長嶋、君がやるんだ
ファンは、長嶋監督の登場を待望しているんだ。しっかりがんばってくれよ。ただ、やめてもおれは巨人からいなくなるんじゃないぞ。君がやりやすいように、これからも全面的に応援するよ。とにかく、おれは監督を辞める。この決心は変わらんぞ・・・
と、事実上の引退勧告をされたそうで、
長嶋さんは、
監督さんのおっしゃることは、よく分かりました。でも待ってください。ぼくの生命は、バットマンであることだと思ってます。バットマンとして燃え尽きるまでやるのが、ぼくの務めです。
長嶋がんばれ、と応援してくれるファンのためにも、体が続く限りバットを持ちたいんです。体が動かなくなったその時には、ぼくは静かにバットを置くつもりです。あとに続く王や柴田たちのためにも、長嶋はあそこまでやった、という目標を残してやりたい。限界までぼくにやらせてください
監督、ぼくはどうしてもこのままで終わりたくはないんです。長嶋にバットマンとして、あと一年最後の勝負を賭けさせてください。悲壮感やセンチメンタリズムで言っているのではありません。もっと、カラッとした明るい気持ちでお願いしているんです
と、言ったそうですが・・・
(川上監督には、過去6人しかいない通算打率3割を切る前に引退するよう勧められたそうですが、長嶋さんは、通算打率3割よりも、倒れるまで現役を続けたいと思っていたのだそうです)
川上監督には、
長嶋、バットマンとしてあと一年やるというけど、君はもう、どうもがいても3割は打てんぞ
いいか。今の君と同じ道を歩いてきた俺にはよく分かる。もう3割は打てん。無理だな。今の腰を引く打ち方じゃ、3割は無理だ。若い頃の君に徹底的にこの弱点を直してやらなかったのは、俺の失敗だ。今からじゃ、もう直らん。だから長嶋、悪いことは言わん。今が引き際だぞ。どうもがいても、君に3割は打てん
と、言われてしまったのだそうです。
(川上監督の厳しすぎる言葉に、長嶋さんは、自分の肩が小刻みに震えるのを感じていたそうです)
「長嶋茂雄は引退前年に川上哲治監督から引退勧告を受けていた!」に続く