1985年3月に、ミルウォーキー・ブリュワーズのスプリングキャンプに合流すると、当初は、「日本から太った男が来た」と、冷ややかに見られるも、日を追うごとに着実に評価を上げていったという、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、3月26日のシカゴ・カブス戦で、味方のエラーをきっかけに4安打4失点すると(自責点0)、日本の野球との違いを痛感したといいます。
「江夏豊はマイナーでメジャーへの昇格率75%と言われていた!」からの続き
自責点0も4安打4失点
紅白戦やオープン戦で着実に結果を残していった江夏さんは、ジョージ・バンバーガー監督から、メジャー昇格の確率75%と言われるまでに評価を上げるのですが、
3月26日のシカゴ・カブス戦では、味方のエラーをきっかけに、打ち取ったはずの遊ゴロが緩慢プレーで内野安打になったり、止めたバットに当たった打球が2点タイムリーになるなどの不運もあり、1回、打者10人で4安打4失点してしまったそうです。(自責点はゼロ)
日本の野球との違いを痛感
そこで、江夏さんは、自責点はゼロだったものの、打者心理を読んで配球を組み立てる「投球の間」が、守りのリズムを狂わせていると感じたそうで、
早め早めに勝負しなければ
と、修正したそうですが・・・
これで、打者心理を読んで配球を組み立てる時間が十分に取れなくなった江夏さんは、3月30日のアスレチックス戦では、登板した7回は無失点も、2イニング目の8回、相手の控え捕手に本塁打を喫し、さらには、三塁打を含む3安打を浴びて3失点と、2試合続けてリリーフに失敗。
そして、最終選考となった4月2日のカリフォルニア・エンゼルス戦も、中継ぎ左腕の1枠を争うテッド・ヒゲラが先発して2点を失った後、江夏さんは4回から登板したそうですが、チームが同点に追いついた直後の5回、レジー・ジャクソンに打たれ、2回4安打2失点で、初めて敗戦投手となってしまったのだそうです。
解雇を通告される
すると、最終ロースター25人の最終選考が行われた4月4日、江夏さんは監督室に呼び出され、
ミスター江夏、よく頑張ったが最終段階で君を必要としていない
と、はっきりと、解雇を通告されたそうで、
江夏さんは、
でも、公平に試されたと思う。自分の人生にとって、いい勉強になった
と、語っています。
(成績は江夏さんと同程度ながら、若くて球の速かったことから選ばれたテッド・ヒゲラ選手は、この年メジャーデビューし、15勝を挙げると、翌年には20勝、オールスターにも出場する活躍をしているのですが、後に、日米野球で来日した際には、江夏さんの元に真っ先に駆けつけ、握手を求めてきたそうです)
メジャーに選出されなかった理由は?
ちなみに、投手コーチのハーム・スターレットは、
正直なところ、2週間前はリストの中に江夏を入れていた。ダメになったのは彼が2イニングしか投げられないこと。中継ぎ投手は3、4イニングは投げられないと・・・
と、語っており、中継ぎで3イニング以上投げられないのが、江夏さんを選出しなかった理由だったそうです。
また、ジョージ・バンバーガー監督は、
江夏はよくやった。若くて有望な選手が大勢いるので、36歳の江夏をマイナーリーグに置いておくことはできない。できることならそうしたかったが、やむを得ない。どこかほかのチームが江夏に興味を持っていないかを聞いてみるのが江夏に対してできることのすべてだ
と、語っています。
「江夏豊はレジージャクソンとの真剣勝負で踏ん切りをつけていた!」に続く