今から約40年前、まだ、エージェントなどなかった時代に、マイナーリーグのミルウォーキー・ブリュワーズのテスト生として海を渡り、たった一人、メジャーリーグに挑戦した、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、ライバルたちとしのぎを削る毎日の中でも、チームメイトや、対戦相手のレジー・ジャクソンさんとの忘れられない思い出があるそうです。今回は、そんな江夏さんのメジャーリーグ挑戦時のエピソードをご紹介します。
「江夏豊はマイナーリーグで日本の野球との違いを痛感していた!」からの続き
チームメイトからの「グッドラック」に深い意味が込められていることを知る
1985年4月、解雇を通告された江夏さんは、その後、「グッドバイ」ではなく、「グッドラック」と、何人もの選手に声をかけられたそうで、
江夏さんは、当初、「グッド・ラック」の意味があまりよく分からず、これを、「お前は日本に帰ったほうがいい」という意味に解釈していたそうですが、
やがて、
よく頑張った。だが、運がなかった。あきらめるな。どこかでのグランドでまた会おう
という深い意味があることを実感したといいます。
(チームメイトたちは、別れのパーティーを開いて、プレゼントまでくれたそうで、江夏さんはその感激が今でも忘れられないそうです)
最終選考日はレジー・ジャクソンとの対戦を熱望していた
また、江夏さんは、最終選考の4月2日のエンゼルス戦では、レジー・ジャクソンさんと対戦しているのですが、実は、これは、江夏さんが熱望したものだったそうで、
通算563本塁打のメジャーを代表する強打者で、日本で言う、王貞治さんのような位置づけのジャクソンさんに憧れていた江夏さんは、アメリカで取材を受ける中、何度も、「対戦したい打者」として、ジャクソンさんの名前を上げていたのだそうです。
(アスリートとは思えない体型でメジャーに挑む日本人として面白がられていた江夏さんは、アメリカのマスコミから割りと多くの取材を受けていたのだそうです)
レジー・ジャクソンの本気のスイングで野球を辞める踏ん切りがついていた
さておき、4月2日、ジャクソンさんを迎えた江夏さんは、ジャクソンさんがホームランを狙って来るかと思っていたそうですが、ジャクソンさんは、ミートに徹して、左中間寄りにヒットを打ったそうで、
これに、江夏さんは、ジャクソンさんの、
遊びでなく、こいつは本気でアメリカまで夢を追いかけてきた。その夢を砕くなら、俺のバットで砕いてやろう
との思いを感じたそうで、
ジャクソンさんが完璧な真剣勝負をしてくれたこの1本で、
ああ、これで野球を辞められる
と、踏ん切りがついたのだそうです。
レジー・ジャクソンからバットを贈られていた
ちなみに、ジャクソンさんは、
おまえの夢はこれで吹っ飛んだんだ。持って帰れよ
と、言って、そのバットをくれたそうで、
江夏さんは、著書「燃えよ左腕 江夏豊という人生 (日本経済新聞出版)」で、
海の向こうにいて、一度も会ったことがなかった男が、自分の気持ちを一番よく分かってくれていた。そのバットは今も自宅に飾ってある。
と、綴っています。
「江夏豊はマイナーに半月残っていればメジャーリーガーになれた!」に続く