1度も挨拶に来なかった阪神が、ドラフトでいきなり1位指名してきたことに、怒りが爆発した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、阪神へは入団せず、社会人野球に行くことを断言していたといいます。

「田淵幸一はドラフトで阪神に1位指名されていた!」からの続き

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阪神の入団は拒否し、社会人野球へ入ると断言していた

一度も挨拶に来ずに、いきなり、ドラフトで一位指名してきた阪神に対し、怒り心頭だった田淵さんは、しばらくして、報道陣の前に姿を表すと、

がっかりですよ。巨人は小さい頃からファンだったし、チームカラーが好き。指名順位を聞いたとき、東映か東京になると思った。もっとも、どっちにしたって行かないけど

と、ふくれっ面で記者会見を始め、

お父さんの綾男さんも、

阪神の方が来られたら、こちらの態度だけ説明してお引き取り願う。これから(法大の)松永監督とも相談しますが、われわれとしては東京にある熊谷組にお世話になるつもりです

と、阪神入団を拒否し、社会人野球へ入ると断言したそうで、

田淵さんは、その時のことを、著書「我が道」で、

運命のドラフト。当時は下位球団から指名順位を決めるくじを引き、その順位にしたがい選手を指名していく方式だった。私は「巨人以外は拒否する」と宣言。

ところが・・・。 巨人の指名順位は8番。その前に1番の東映(現・日本ハム)から広島、阪神、南海(現・ソフトバンク)、サンケイ(現・ヤクルト)、東京(現・ロッテ)、近鉄と続く。在京の東映か東京はあるかもしれないと思った。

しかし、阪神は事前のあいさつも一切なく、そもそも同期で親友の富田勝と相思相愛のはずだった。それがなぜ・・・。私は真剣に社会人の北海道拓殖銀行入りを考えた。

と、綴っています。

阪神が田淵を1位指名しようと決めたのは指名の直前だった

そもそも、なぜ、阪神は、当初スルーだった田淵さんを、突然、ドラフト1位で指名することになったのでしょうか。

実は、1番目の東映フライヤーズから指名が始まった時には、阪神はまだ田淵さんのことは頭になかったのだそうです。

(阪神からは、戸沢一隆球団社長と佐川直行スカウト(渉外担当課長)が出席していたそうです)

それが、戸沢球団社長によると、

最初に(田淵の名前が)出てくると思っていたのに出ないので、迷わずいった。一番の強打者だし、やってみようと

と、指名直前に、田淵さんを1位指名しようと決めたのだそうです。

スカウトの佐川直行は過去に阪神入り濃厚だった王貞治を土壇場で巨人に横取りされ恨みを持っていた?

また、ドラフト会議に戸沢球団社長と同席していたスカウトの佐川直行さんは、1958年、父親の意向により大学に進学することが決まっていた、早稲田実業学校の王貞治さんを熱心に口説き、もう一歩で阪神入りというところで、巨人に取られていたことから、巨人に対して恨みがあり、その恨みを晴らす最大のチャンスと、戸沢球団社長に田淵さんの獲得を進言していたそうで、

佐川さんは、指名が終わった後の記者会見で、

私は10年前に王君を獲るのに失敗した。それが原因になって、それからの阪神は巨人に勝てなくなった。責任を感じている

と、語っています。

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阪神の佐川スカウトは田淵を10年に1人の逸材だと言って取り繕っていた

ちなみに、佐川さんは、田淵さんを1位指名した理由を、

10年に1人出るか出ないかの逸材である田淵君は絶対に逃がせない

とも、取り繕っているのですが、

田淵さんは、これを聞き、

そんなにボクを買ってくれていたんなら、電話の1本もあっていいんじゃない?『指名するかもしれないので、その時はよろしく』だけでも連絡があったら、親父もボクもあんなに怒らなかったと思う

と、語っています。

「田淵幸一を諦めきれない巨人は三角トレードを提案していた!」に続く


我が道

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