ドラフト前に、巨人の監督・川上哲治さんに熱心にスカウトされると、もともと巨人ファンだったことから、巨人入り以外は考えられなくなり、もし、巨人以外から指名されたら、社会人に進もうとまで考えていたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、いよいよドラフトが始まり、巨人の指名順位が8番と聞いてがっかりすると、その後、1度も挨拶に来なかった阪神が1位指名してきたといいます。

「田淵幸一は川上哲治に巨人入りを熱心に誘われていた!」からの続き

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「第4回ドラフト会議」では巨人の番をやきもきしながら待っていたが・・・

いつもは午前10時近くまで寝ていたという田淵さんも、1968年11月12日、ドラフトの当日は、さすがに緊張して7時に起床したそうで、朝早くから自宅に集まった報道陣の前に、白いハイネックに水色のセーター姿で出ていったそうです。

そして、10時過ぎ、東京・日比谷の日生会館7階の国際ホールで「第4回ドラフト会議」が始まったそうですが、現在のようにドラフト会議のテレビ中継がない時代だったことから、情報は、現場の記者からの電話のみだったそうで、

田淵さんは、

巨人は何番目なのか・・・

と、やきもきしながら待っていたのだそうです。

(ドラフト会議は、第1回、第2回、第3回、第4回と、目まぐるしくルールが変わっているのですが、第4回は初めて報道陣公開で行われ、まずは、その年の日本シリーズで敗れたパ・リーグの最下位球団(東映)、次にセ・リーグの最下位球団(中日)・・・と、セパ交互に下位球団から指名順位を決めるくじを引き、その順位に従って選手を指名していく方式だったそうです)

希望の巨人は8番目だった

すると、午前11時30分に、田淵さんの自宅に記者から電話連絡が入るのですが・・・

「1番クジ」を引いたのは東映で、「2番」が広島、「3番」が阪神、「4番」が南海で、巨人は「8番目」だったそうで、

(8番目の巨人がくじを引くまでに田淵さんが消えるのは確実だと思われました)

田淵さんは、期待が、一転、落胆に変わって、いたたまれなくなったそうで、

最近、考えるところがあって・・・。巨人以外に指名されても絶対に行かない

と、言い残して、奥の部屋に入ったのだそうです。

(記者会見の場となっていた田淵さんの自宅の応接室はシーンと静まり返ったそうです)

阪神から1位指名され耳を疑う

そして、午後0時40分には、法政大学の関係者から電話があり、

あなたは阪神から1位指名されました

と、言われたそうで、

田淵さんは、一瞬、耳を疑い、

もう一度言ってください

と、聞き返したそうですが、

答えは同じだったそうです。

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一度も挨拶に来なかった阪神に怒り心頭だった

というのも、阪神は一度も挨拶に来ておらず、

オレを欲しいと言っていた巨人や南海だけじゃなく、ほとんどの球団が1度は挨拶に来た。なのに阪神だけは挨拶にも来ない。それで指名だよ?わけが分らなかった

と、怒りが沸いてきたのだそうです。

また、田淵さんのお父さんも、(奥の部屋へ行ったきり出てこない田淵さんに代わり)

どうして阪神が息子を指名したのか解せない。親ばかのようだが、一人息子なので大阪地区の球団にはやりたくない。希望球団へ行けないということは親としても残念だ

と、阪神に対して怒りをにじませつつ、無念の思いを吐いたのだそうです。

「田淵幸一は阪神のドラフト1位指名に入団拒否していた!」に続く

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