プロ入り2年目の1970年には、広島の外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り3年目の1971年には、「急性腎炎」を患い、開幕から2ヶ月以上欠場しているのですが、この年、監督推薦でオールスターに出場すると、あの、江夏豊投手の9連続三振を捕球します。
「田淵幸一は外木場義郎からこめかみ死球の前に肘にも死球を受けていた!」からの続き
風邪気味で無理に試合に出場して40度の高熱が出ていた
プロ入り3年目の1971年も、オープン戦では23試合で9本塁打と、順調なスタートを切っていた田淵さんですが、
同年3月28日の阪急(現・オリックス)戦では、風邪気味だったところ、村山実監督から「お客さんのためやから」と言われ、無理に出場すると、悪寒がして2打席で交代したそうで、西宮市の合宿所に戻ると、40度の高熱が出ていたそうです。
急性腎炎で開幕から2ヶ月間欠場していた
そこで、翌29日に、市内の田所病院で検査を受けたことろ、(田淵さんは、単なる風邪だと思っていたそうですが)「急性腎炎」と診断され、そのまま入院を余儀なくされたのだそうです。
ちなみに、6月17日、大洋ホエールズ(現・DeNA) 戦で、ようやく復帰するも、病み上がりということで、4番右翼として、出場したそうで、その後も、捕手として出場したのは1試合のみで、守備はずっと、外野か一塁だったのだそうです。
開幕から2ヶ月欠場も川上哲治監督の推薦でオールスターに出場
こうして、開幕から2ヶ月も欠場していた田淵さんですが、オールスターでは、第1戦が西宮球場だったことから、全セを指揮する巨人の川上哲治監督が、「江夏とバッテリーを組めばファンサービスになる」と、捕手に田淵さんを推薦してくれたそうで、
田淵さんは、ファン投票で選出された江夏豊さんと、オールスターでバッテリーを組むことになったのだそうです。
江夏豊の9連続三振時の捕手を務めていた
そんな中、田淵さんは、久しぶりの女房役(捕手)に不安を感じるも、江夏さんからは、「( ミットを)構えたところに放ってやるから」と言われて、心強かったそうですが、
実際、江夏さんは、構えた所にビタっと投げ込んで来たそうで、1回を、1番・有藤通世選手、2番・基満男選手、3番・長池徳二(後に徳士)選手と3連続空振り三振に斬ってとると、
2回も、4番・江藤慎一選手と5番・土井正博選手を空振り三振、6番・東田正義選手を見逃し三振に斬ってとり、
3回も、7番・阪本敏三選手を見逃し三振、8番・岡村浩二選手と9番・加藤秀司選手を空振り三振に斬ってとり、見事、9連続三振を達成したのだそうです。
江夏豊が9連続三振を取った記念のボールをマウンドに転がしてしまっていた
ちなみに、最後の打者・加藤秀司(後に英司)選手は、カウント1ストライク1ボールからの3球目、バックネット方向へファウルフライを打ち上げているのですが、その際、田淵さんは追っかけており、江夏さんから「追うな!」と叫ばれているのですが、田淵さんいわく、もちろん、捕るつもりはなかったとのことです。
(江夏さんいわく、明らかにスタンドに入ると分かったことから、リズムを崩したくなく、追うなと言ったのだそうです)
さておき、江夏さんは、4球目、見事、直球で加藤選手を空振り三振に仕留め、9連続三振を達成しているのですが、なんと、田淵さんは、その記念ボールをポーンとマウンドに投げており、江夏さんに、「優しさのない男や」と責められています(笑)
田淵さんは、この時のことを、著書「我が道」で、
私は思わず記念のボールをマウンドに転がしてしまった。一塁を守っていた王貞治さんが拾って江夏に渡してくれたが、それほど興奮していた。
それにしても江夏という男は・・・。この試合、私のバットで場外ホームランを打ったのを付け加えておく
と、綴っているのですが、
江夏さんいわく、緊張していた感じではなく、あっさりした感じだったとのことです(笑)
「田淵幸一は首位巨人と1ゲーム差の直接対決で逆転満塁本塁打を放っていた!」に続く