チーフ打撃コーチとして、「うねり打法」という打撃理論で濱中おさむ選手や関本健太郎選手など育て上げ、2003年には、18年ぶりとなる阪神のリーグ優勝に貢献した、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、シーズン終了後、星野仙一監督が健康上の理由で退団すると、田淵さんも、「俺は監督と一蓮托生」と、共に退団しています。

「田淵幸一は阪神コーチ時代18年ぶりのリーグ優勝に貢献していた!」からの続き

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星野仙一とともに阪神を退団していた

2003年10月28日、星野仙一さんが健康上の理由から阪神タイガースの監督を退任すると、田淵さんも、「俺は監督と一蓮托生」と、10月31日に退団しているのですが、実は、星野さんは、後任監督に田淵さんを推薦していたといいます。

ただ、田淵さんは固辞したそうで、2004年には、再び、TBS解説者として復帰しています。

(後任監督には、守備走塁コーチだった岡田彰布さんが就任しています)

星野仙一は何度も試合中に倒れていた

実は、星野さんには、かねてから、高血圧、糖尿病、胃潰瘍、腰痛などの持病があったそうで、2002年3月30日、阪神の監督として初めて采配を振るった東京ドームでの開幕戦(巨人戦)では、先発の井川慶投手が巨人打線を6安打1失点に抑え、完投を目前にしていたのですが、

星野監督専属広報及び専属運転手だった平田勝男さんによると、8回、星野さんは、突然、激しい動悸(どうき)と胸の痛みに襲われていたそうで(急性頻脈)、平田さんは、ベンチで星野さんの後ろからベルトを持って体を支えていたそうですが、星野さんの顔を見ると、白目をむいて、口は半開きになっていたそうで、何度も死んだと思ったといいます。

また、当時、球団社長だった野崎勝義氏によると、2003年には、覚えているだけでも、星野さんは試合中に4回倒れ、その都度、島野育夫ヘッドコーチが敵陣にバレないように指揮を執っていたといいます。

(選手たちも、遠征先のホテルのエレベーターでうずくまっている星野さんを何度も目撃したといいます)

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ベンチで胃痛と嘔吐に苦しむ星野仙一の手を取り励ましていた

そんな中、2003年7月27日、優勝マジック「36」で迎えた中日18回戦(ナゴヤドーム)では、一回1死二、三塁から桧山進次郎選手が先制2点二塁打を放っているのですが、

星野さんはその直後、突然、腹部を押さえてベンチに倒れ込み、横になりながら、胃痛と嘔吐に苦しんでいたそうで、

田淵さんが、そんな星野さんの手を取り、

仙ちゃん、無理するな。大丈夫、俺たちは絶対に勝てる。終わったら、ゆっくり2人で海外旅行へ行こうや

と、話しかけると、

(田淵さんは、阪神でコーチに就任して以来、星野さんのことをずっと「監督」「大将」と呼んでいたのですが、この時、初めて「仙ちゃん」と呼んだのだそうです)

星野さんは、痛みに耐えながらも、

そやなぁ

と、笑ってみせたそうで、

田淵さんは、

本当に信じられる友は一人でいい

と、語っています。

(この時の星野さんが見せた笑顔は忘れられないそうです)

「田淵幸一は星野仙一監督のもと北京五輪のヘッド兼打撃コーチもしていた!」に続く

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