明治大学卒業間際に、帝京商業学校時代の監督で明治大学では技術顧問だった天知俊一さんにフォークボールの存在聞き、試行錯誤の末、フォークボールを会得するも、プロ入りして最初の2年間は、タイミングを外す程度の使い方しかせず、多投もしなかったという、杉下茂(すぎした しげる)さんですが、米サンフランシスコ・シールズのキャンプに招待されると、アメリカ選手が打撃練習で本気で打ち返してきたことから、本気でフォークボールを投げてみようと思い立ち、激しく腕を振って投げたところ、球が打者の手前でストーンとほとんど直角に落ちたといいます。
「杉下茂はフォークボールで中日入団2年目から27勝していた!」からの続き
当初は「フォークボール」を「カーブ」言ってごまかしていた
杉下さんは、プロ1年目、ここぞという時にしかフォークボールは投げなかったことから、周囲からは、「変わったカーブだ」くらいにしか思われておらず、杉下さん自身も、フォークボールを投げても、「カーブ」と言ってごまかしていたそうで、
実際、フォークボールは、カーブの代わりにタイミングを外す程度の使い方しかしていなかったそうです。
(「フォーク」という名前も一般的には知られていなかったそうです)
米サンフランシスコ・シールズのキャンプで無回転フォークボールを編み出していた
ただ、プロ入り3年目の1951年2月下旬、サンフランシスコ・シールズ(3A)の監督のフランク・オドールさんからキャンプに招待されて渡米し、キャンプに参加すると、まずは、打撃練習で投げさせられたそうですが、
(川上哲治選手(巨人)、藤村富美男選手(阪神)、小鶴誠選手(松竹)ら、球界を代表する錚々(そうそう)たる選手(強打者ばかり)の中で、たった一人だけ、若い投手の杉下さんが選ばれたのだそうです)
アメリカの打撃練習は真剣勝負に近く(投手もそこで自分の力をアピールするのだそうです)、ものすごいパワーで打ち返してきたことから、フォークボールを本気で投げてみようと思い立ったそうで、
実際投げてみると、
身体がゴッツイからね、この打者相手ならぶつけてもいいやと思ってね。この野郎ってくらい思い切り投げたら、ものすごく落ちた
と、打者の手前で、ストーンとほとんど直角に球が落ちたそうで、杉下さん自身驚いたのだそうです。
フォークボールは思い切り腕を振ると激しく変化することが分かった
また、この時、フォークボールは思い切り腕を振った方が激しく変化すると分かったそうですが、杉下さんのフォークボールは、現在の一般的なフォークボールとは異なり、球が全く回転することなく左右に揺れながら落ちる、「ナックルボール」に近いものだったそうです。
「杉下茂の落差のあるフォークボールは川上哲治も打てなかった!」に続く