1953年にテスト生として阪神タイガースに入団すると、1962年には、27勝(チーム最多)、防御率1.66(リーグ2位)、270奪三振(リーグ最多)で、阪神の2リーグ制以降初の優勝に大きく貢献した、小山正明(こやま まさあき)さんですが、1963年には、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の中核を担っていた山内一弘選手と1対1のトレードが成立し、「世紀の大トレード」として大きな注目を集めたといいます。

「小山正明は日本シリーズの試合中に負けを確信し風呂に入っていた!」からの続き

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1963年オフにはトレードの噂が流れ始めてマスコミに追い回されるように

1962年には、27勝(チーム最多)、防御率1.66(リーグ2位)、270奪三振(リーグ最多)という、素晴らしい成績で阪神をリーグ優勝に導いた小山さんですが、

1963年には、14勝14敗、防御率3.59と成績が振るわず、シーズンオフになるとトレードの噂が流れ始め、毎日のように新聞で報道されるようになったそうで、

小山さんがゴルフに行こうと朝早く家を出ると、すでに報道陣が家の回りに集まっており、さらには、ゴルフ場までついてくるなど、報道陣に追いかけ回されるようになったそうです。

(当時は、トレードがそれほど多くなかったため、この小山さんのトレード話は球界を賑わわせたそうです)

大毎オリオンズの永田雅一オーナーからトレードを熱望されていた

そんな中、たまりかねた小山さんは、戸沢一隆球団社長に、報道陣に毎日追いかけ回されて困っていると電話したそうですが、

戸沢球団社長には、

大毎オリオンズの永田(雅一)オーナーから、(小山さんを)よこせ、よこせと頻繁に電話がかかってくるんだよ

と、言われたそうで、

小山さんが、

ほんでタイガースはどうなんですか

と、聞くと、

戸沢球団社長は、

いやいや、タイガースはそこまで考えてない

と、言ったそうで、

小山さんは、そのまま、報道陣に伝えたそうです。

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戸沢一隆球団社長から永田雅一の熱い想いを聞きトレードを了承していた

それでも、(球団から何らかの情報が漏れていたようで)相変わらず、報道陣が集まってきたことから、小山さんは、もう一度、戸沢球団社長に電話を入れたそうですが、

戸沢球団社長には、またしても、

どうしても(永田オーナーが小山さんを)よこせというんだ

と、言われ、一度うちに来いと言われたそうで、

小山さんが戸沢球団社長の家を訪ねると、永田オーナーの小山さん獲得に対する熱意を聞かされたそうで、

小山さんは、

そこまで向こうが言ってくれてるんなら、僕は別に(トレードは)構いませんよ

と、あっさりとこれを了承し、トレードが成立したのだそうです。

「小山正明は大毎の永田雅一オーナーから人間性を高く評価されていた!」に続く

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