1962年、27勝11敗、防御率1.66、47イニング連続無失点、270奪三振、13完封(セ・リーグ記録と)という素晴らしい成績で、阪神タイガースのリーグ優勝に大きく貢献するも、MVP(最優秀選手)に選ばれなかった、小山正明(こやま まさあき)さんは、東映フライヤーズとの日本シリーズ第7戦では、延長10回に1点を先制されると、試合中だったにもかかわらず負けを確信し、風呂に入っていたといいます。

「小山正明がMVPに選ばれなかった理由が酷すぎる!」からの続き

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延長10回裏に阪神が同点に追いつくも小山正明はベンチにいなかった

小山さんは、1962年、東映フライヤーズとの日本シリーズで、2勝3敗1分とリードされた中で迎えた第7戦に先発すると、9回を無失点で抑えるも、0対0で延長戦に突入すると、延長10回表、ついに力尽き、1点を取られてしまったそうですが(1対0)、10回裏には阪神が同点に追いつき、再び1対1の振り出しとなったそうです。

しかし、延長11回、捕手と内外野手が全員守備につくも、マウンドには誰もいなかったそうで、「小山はどこだ?」と、大騒ぎになったそうです。

リリーフ登板した村山実が西園寺昭夫に決勝本塁打を打たれ日本シリーズ敗退

実は、小山さんは、10回表で負けたと早とちりし、ロッカールームに引き上げて風呂に入っていたというのです。

そこで、村山実投手が慌ててリリーフで登板したそうですが、村山投手は、日本シリーズ7戦中6試合に登板していて、球威が落ちていたそうで、延長12回表、西園寺昭夫選手に決勝本塁打を打たれ、阪神は日本一を逃したのだそうです。

(青田昇打撃コーチが「風呂に入った男には投げさせられない」と、急遽、村山投手を登板させたという話も)

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風呂に入っていたのは阪神球団への反抗心からだと報じられていた

ちなみに、当時の週刊誌には、この年、小山さんが練習中に暴投で三宅秀史選手に大ケガを負わせた際、阪神球団が三宅選手に治療費を支払わず、一部を小山さんが負担することになり、それをきっかけに小山さんの球団不信が生まれ、小山さんが風呂に入ったのは阪神球団への反抗心からだと報じられているのですが、当然ながら、阪神球団はこれを完全否定しています。

また、当時、阪神タイガースの監督だった藤本定義さんは、小山さんが、シーズンで文句なしの成績だったにもかかわらずMVPに選ばれなかったことから、日本シリーズは初めからやる気を失っていたとも語っています。

(藤本監督は、この一件以来、MVPの発表時期を日本シリーズ終了後にするようにセ・リーグの鈴木龍二会長に直訴したそうで、鈴木会長もこれを受け入れ、1963年以降はMVPの発表は日本シリーズ終了後に行われるようになったそうです)

「小山正明は大毎の永田雅一オーナーからトレードを熱望されていた!」に続く

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