1995年シーズンは、4月15日の阪神タイガース戦で通算2000本安打を達成すると、オールスターに出場しMVPを獲得するほか、最終的には、打率3割1分1厘、17本塁打、65打点を記録した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、1996年シーズンも、3割1厘、21本塁打、86打点と好成績を収めていたのですが、同年オフ、11月14日のスポーツ紙には一斉に「落合解雇」と報道されます。

「落合博満は41歳4ヶ月で2000本安打を達成するも名球会は辞退していた!」からの続き

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1996年は死球を受けて後半は戦線離脱するも好成績を残していた

落合さんは、巨人移籍3年目の1996年シーズンも好調だったのですが、8月31日の中日戦で野口秀樹選手から死球を受け左手首を骨折してしまうと、以降の試合を棒に振ってしまいます。

それでも、このシーズン、106試合に出場して、打率3割1厘、21本塁打、86打点、得点圏打率3割4分5厘という好成績を残します。

(この年、巨人は、首位・中日との11.5ゲーム差をひっくり返して逆転優勝しているのですが、落合さんは、オリックスとの日本シリーズで復帰すると、第1戦で3安打を放つ活躍を見せています。ただ、巨人はオリックスに1勝4敗で敗退しています)

1996年には通算500本塁打と通算1500打点も達成

また、この年、落合さんは、現代野球で強打者の指標とされる「OPS」も9割2分4厘をマークし、史上7人目の通算500本塁打、史上7人目の通算1500打点も達成しています。

ちなみに、この年(1996年)、落合さんは43歳だったのですが、巨人史上、43歳になるシーズンで4番を務めた野手は落合さん以降出ておらず、2023年現在も球団最年長記録です。

また、打撃成績においても、43歳での、打率3割、OPS9割越えも史上最年長記録となっています。

急転直下で巨人を退団することに

そんな落合さんですが、1996年オフ、急転直下で巨人を退団(自由契約)することになります。

というのも、この年、西武の清原和博選手が西武に提示された3年契約を断ってFA宣言をすると、巨人が清原選手の獲得に動くのですが、それに伴い、清原選手と同じファーストの落合さんが押し出されてしまったのでした。

(1985年秋のドラフト会議では、巨人の1位指名は清原選手で確実と思われていたのですが、当日、突然、PL学園のチームメイトの桑田真澄投手が1位指名されたことから、清原選手は涙ながらに(清原選手を1位指名し、交渉権を獲得していた)西武に行っており、巨人と清原選手との間には因縁があったのですが、1996年11月12日、清原選手のFA交渉が解禁となると、翌13日、西武・東尾修監督は巨人の球団幹部に電話で「キヨは初恋の相手が忘れられないんだな」と巨人入りを示唆しています)

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巨人は清原和博を獲得して落合博満を切るつもりだった

実は、巨人の4番ファーストだった落合さんは、かねてより、

清原も巨人に来ればいい。アイツならサードを守れる

と、発言していたのですが、

(清原選手の西武での定位置はファーストだったのですが、巨人でファーストを守る落合さんは、ポジションを譲る気はサラサラなかったそうです)

巨人は、清原選手を獲得できたら落合さんを切るつもりだったそうで、

11月13日、交渉に臨んだ巨人の球団幹部は、清原選手に、

一塁は空けておくよ。落合は解雇する方針だ

と、伝えていたというのです。

そして、11月14日のスポーツ紙は一斉に「落合解雇」と報道したのでした。

「落合博満は長嶋茂雄監督と直接対談し巨人退団となっていた!」に続く

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