法政大学時代には、強肩強打の大型捕手として通算22本の六大学野球最多本塁打を記録し、1968年、ドラフト1位で阪神に入団すると、1982年と1983年には、4番打者として連続日本一に貢献するほか、美しい放物線を描くホームランを放つことから「ホームランアーティスト」と称された、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、プライベートは、2度の結婚歴があるそうです。今回は、そんな田淵さんの最初の妻・谷口博子さんについてご紹介します。
「田淵幸一は楽天イーグルスでヘッドコーチも解任されていた!」からの続き
最初の妻・博子との結婚式は緊張のあまり足が震えていた
田淵さんは、1975年、谷口博子さんと結婚しています。
実は、もともと、結婚式は、1974年12月12日にする予定だったそうですが、田渕さんのお父さんの綾男さんが9月15日に他界されたため、延期になったそうで、翌年の1975年1月17日、京王プラザホテル内の結婚式場で結婚式(参列者は両家合わせて50人ほど)が執り行われたそうです。
(新婚旅行は、当初の予定通り、1974年の年末に2週間ほどハワイに行ったそうです)
ちなみに、田渕さんは、
式ではすごく緊張して、すっかりあがっちゃいました。阪神に入団して、公式戦で最初のバッターボックスに立った時みたいに、足がガタガタふるえるんですよ。
と、語っているのですが、
実際、(足の震えこそ見えなかったものの)顔は硬直して脂汗を流し、誓いの言葉を読み上げる田渕さんの声は、その体の大きさとは対照的に蚊が鳴くような声だったといいます。
最初の妻・博子は離婚歴のある2児の母親だった
一方、博子さんはというと、離婚歴があり、2児の母親だったそうですが、田渕さんと共に神前に並び、神主の祝詞(のりと)が始まるか始まらないうちに、大粒の涙を流していたそうで、
初めての結婚式みたいに、感激で胸がいっぱいになり、涙があふれて困りました。
と、語っていたそうです。
最初の妻・博子に惹かれた理由は?
そんな二人の馴れ初めなど、詳しいことは不明ですが、
田渕さんは、記者会見で、博子さんに惹かれた理由について、
おとなしいところ、優しいところです
博子さんは、田淵さんのことを、
やっぱり外見ではなく、彼の気持です。一本気でスポーツマンらしくさっぱりしていて、ぐんぐん私を引っぱってくれる強い力に魅かれて、だんだん彼が素敵に思えてきたんです。今はとっても幸せです。
と、答えていたそうです。
最初の妻・博子の料理には辛口の評価をしていた
ちなみに、田渕さんは、博子さんの料理の腕前については、
料理学校にも通ってたらしいんですけど、さっぱりですね(笑)料理は僕のほうがうるさいんですよ。これからおいおい仕込んで行きます。
と、辛口の評価をしており、
博子さんも、
食べ物は満点でないと気に入ってくれないんです。その点だけは厳しいんですよ。彼はカロリー表まで用意し、こういうふうに作れって具体的に指示してくれます。
と、語っています。
結婚生活について抱負を語るも・・・
また、田淵さんは、プロポーズについて、
確か電話で話している時、黙って俺について来いというようなことを言ったような・・・(笑)
と、明かしつつ、結婚後は、子どもは3人くらいほしいと幸せいっぱいに語るほか、
職業がらどうしても家を空けることが多いし、そのとき後顧(こうこ)の憂(うれ)いなく野球に打ち込めるように家を守ってもらうことが一つと、もう一つは気楽に友人を連れて来られるような家庭にしたいですね。
と、結婚生活の抱負を語っていたのですが・・・
最初の妻・博子との離婚原因は?
6年後の1981年には離婚。
実は、田渕さんは、西武ライオンズに移籍した際、本拠地の所沢へ転居したことで、博子さんが知人がいなくて寂しいだろうと、マスコミ関係の仕事を勧めたそうですが、やがて博子さんのタレント活動が忙しくなり、すれ違いが多くなっていったのだそうです。
(田渕さんと博子さんの間にはお子さんはいません)
「田淵幸一の現在の妻(ジャネット八田)との馴れ初めは?」に続く
田淵さんと最初の妻・博子さん。