2007年、北京オリンピック野球日本代表の監督に就任した星野仙一さんのもと、ヘッドコーチ兼打撃コーチに就任するも、メダル無しの4位に終わってしまった、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、2011年には、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した星野さんに再び誘われ、ヘッド兼打撃コーチに就任すると、極度の打撃不振から、早々に打撃コーチを解任され、「ヘッドコーチ専任」になっていたといいます。

「田淵幸一は星野仙一監督のもと北京五輪のヘッド兼打撃コーチもしていた!」からの続き

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楽天でも星野仙一のもとヘッド兼打撃コーチに就任するも早々にヘッドコーチ専任となっていた

田淵さんは、2011年、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した星野さんに再び誘われ、ヘッド兼打撃コーチに就任しているのですが、早くも6月5日には、チームの極度の打撃不振を理由に打撃コーチを解任され、ヘッドコーチ専任となっています。

というのも、チームは、シーズン序盤こそ健闘していたのですが、その後はジリ貧となって、6月4日にはついに最下位に沈んでおり、コーチ陣のテコ入れが断行されたのだそうです。

(6月8日終了時点で、投手陣はチーム防御率3.1と決して悪くなかったそうですが、チーム打率は2割3分1厘で、得点も12球団中最下位だったそうです)

「ヘッドコーチ専任」は更迭人事だった

ちなみに、楽天球団は、田淵さんのヘッド兼打撃コーチからヘッド専任となったことを「ヘッド職に専念」と説明しているのですが、実際は、更迭人事だったそうで、

某スポーツ紙記者によると、

新人事発表の日はいつものケージ裏ではなく、遠く離れた外野フェンス際で、大きな体を小さくしてシュンとしていました

と、田淵さん自身もショックを隠しきれない様子だったといいます。

「ヘッドコーチ専任」は三木谷オーナーと星野仙一の妥協点だった

ただ、本来なら、田淵さんは、2軍に降格されていた可能性もあり、「ヘッドに専念(打撃コーチ解任)」は、抜本的な改革を望む三木谷浩史オーナーと星野仙一さんとの攻防の結果の妥協点だったそうで、

某楽天関係者は、

田淵さんには当初2軍行きの可能性もあった。三木谷さんは“不振の原因は直ちに取り除くべし”という考えで、当然ながら打撃不振の責任は打撃コーチが取るべきと考えた。

三木谷さんには、球団創設したばかりの田尾監督時代に、山下ヘッドと駒田打撃コーチをシーズン中に即刻2軍行きにした“実績”もある。しかし、星野監督が“それだけは”と拒否し、打撃コーチ解任で落ち着いた

と、明かしています。

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田淵幸一の指導は選手たちから不評だった

実は、田淵さんの指導は、選手たちから不評だったそうで、特に田淵さんが連れてきたアドバイザーによる骨盤打法は選手から評判が悪かったそうです。

(そのほか、田淵さんが試合中に出す指示は、「初球から狙っていけ」の一点張りだったそうです)

実際、監督の星野さんでさえ、そんな田淵さんの打撃理論を買っていたわけではなかったようで、

某パ・リーグ関係者は、

阪神時代、そして北京オリンピックの日本代表監督のときも星野監督は必ず田淵さんを側に置いた。要はいつも近くにいてほしいお友達なんです。

選手の間では、田淵さんは“監督のグチ聞き担当”とも揶揄(やゆ)されている。打撃コーチを外したのは、オフに田淵さんの責任回避をするためと見られている。本西(厚博)さんは、いわば人身御供(ひとみごくう=いけにえ)ですよ

と、明かしています。

(ちなみに、本西厚博打撃コーチ補佐は、このタイミングで打撃コーチへと昇格しており、周りに「シーズンオフは俺に詰め腹を切れということか・・・」と漏らしていたそうですが、結局、シーズン終了後も本西さんはクビにはならず、2012年は一軍外野守備走塁コーチとなって球団に残留となっています)

「田淵幸一は楽天イーグルスでヘッドコーチも解任されていた!」に続く

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