1961年、プロ入り9年目のシーズンをキャリア最低の2割2分8厘に終わり、体力の衰えも感じ始めていたという、吉田義男(よしだ よしお)さんは、シーズンオフ、友人の紹介で、大徳寺の高僧・盛永宗興を訪ね、厳しい修行に打ち込んだといいます。
「吉田義男は5年連続で打撃ベストテン入りしていた!」からの続き
キャリア最低打率だった9年目のオフに大徳寺に修行に行っていた
吉田さんは、1961年10月、9年目のシーズンをこれまでで最低の打率2割2分8厘で終わると、友人の紹介で、京都市内の大徳寺を訪ね、修行僧のまとめ役をしている盛永宗興という高僧に会ったそうで、
体力的な限界を迎え悩んでいる、と打ち明けると、
(吉田さんの年齢を聞いたうえで)28歳で体力の限界など、有り得ない。8歳も年上の私が、うどんに生醬油をかけただけの粗末な食事で頑張っているんだ。体ではない、心に問題があるんだよ。私の作務衣をお貸しするから、1週間ほど修行していきなさい
と、言われたそうです。
大徳寺での修行は厳しかった
そこで、吉田さんは、さっそく修行することなったそうですが、修行は厳しく、朝4時半に起きて、約30分間の座禅を組んだ後、読経をすると、日中は、作務として、泥だらけになりながら、お寺の塀の壁塗り、補修、掃除をし、午後10時過ぎに就寝という生活だったそうです。
(塀の壁塗りをしている際、ちょうど、日本シリーズの真っ最中で、大徳寺の隣の紫野高校の校内放送が日本シリーズの実況放送を流していたそうですが、作業に必死で、それを聞く余裕はなかったそうです)
修行に励むうちにエネルギーが身体の底から沸き上がっていた
すると、修行に励み、無心になって自分を見つめていくうちに、体力的にも精神的にも技術的にも、まだまだ自分を限界まで追い込んでいない、と思うようになったそうで、
プロ入り以来、ずっと順調に来たせいで、知らず知らずのうちに慢心していた面もあったかもしれない、とにかく、初心に返って、また一から頑張ってみよう
というエネルギーが身体の底から沸き上がって来るように感じたのだそうです。
ちなみに、吉田さんは、著書「牛若丸の履歴書」で、
宗興師の訓話で心に残ったのは「徹する」だった。何事にも集中して、徹底的にやり通す、突き詰めて考える。どんなに苦しくても、逃げずに向かうなどと、色々なケースに当てはまる言葉だった。
のちに監督になってもからも、常に「徹する」ことを念頭において事に当たった
と、綴っています。
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