巨人から、ドラフト会議を通さずに「空白の一日」を利用して入団可能な旨を伝えられたという、江川卓(えがわ すぐる)さんは、最初は躊躇(ちゅうちょ)するも、1時間ほど考えた結果、巨人に入団する決意をしたそうですが、連盟にはすぐに了承されず、プロ野球実行委員会で討議されることになったといいます。

会見を行う正力亨オーナーと江川卓

「江川卓の空白の1日(ドラフト前日に巨人入団可能)の理屈とは?」からの続き

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江川卓は1時間ほど考え、巨人に入団することを決意していた

1978年11月21日の1日だけは、どこの球団とも自由に契約でき、巨人に入団することが可能であることを、理屈では分かるも、最初は躊躇(ちゅうちょ)していたという江川さんですが、1時間ほど考え抜いた結果、巨人と契約することを決断したといいます。

というのも、

  • 法律の専門家が「問題ない」と太鼓判を押していた
  • (当時の江川さんにとってまだまだ)絶対的な存在だったお父さんが「大丈夫」と確信していた
  • その場の雰囲気が何かいけないことをしている、という後ろめたい雰囲気ではなかった

という状況に、

江川さんは、徐々に不安が打ち消され、何よりも、(江川さんいわく)まがりなりにも法学部を卒業した江川さん自身が、何度、野球協約を読み直しても正当だと判断できたからだそうです。

江川卓は巨人入団会見を行い、舞い上がるような気持ちになっていた

そんな江川さんは、すぐに、紺色のスーツに着替えると、既に巨人との契約の場がセッティングされてあったという全共連ビルに向かうと、11月21日、午前9時、後見人の船田中氏の立会のもと、巨人との統一契約書にサインをしたそうで、

(江川さんは、母校の作新学院高校の理事長であり地元出身の国会議員・船田中氏に、ドラフト会議後のプロ球団との交渉を一任していました)

午前9時32分には、全共連ビル6階の「オークルーム」で、巨人の正力亨オーナー、長谷川実雄球団代表、後見人の船田氏らと共に記者会見を行い、巨人と江川さんが選手契約を結んだことが発表されたのでした。

(江川さんは、それまで写真やテレビでしか見たことがなかった正力亨オーナーと握手を交わしている時、幼い頃からの夢が叶ったという実感が湧いてきたそうで、晴れて巨人のユニフォームが着られること、後楽園のマウンドに立てることを想い、舞い上がるような気持ちだったそうです)

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江川卓と巨人の契約はすぐには連盟には受理されずプロ野球実行委員会で討議されることとなった

しかし、この日(11月21日)の午前10時、巨人の球団職員が東京・銀座にあるセ・リーグの連盟事務所を訪れ、統一契約書を提出すると、事務局長の金子家基氏は、「コミッショナーほかの裁断を待って」と、ひとまず預かるという形で受け取ったそうで、

12時2分よりプロ野球実行委員会が東京・九段下のホテルグランドパレスにて開催されると、(元々、翌日のドラフト会議のための下打ち合わせのためだったため)ドラフト会議の下打ち合わせが終わった後に、巨人と江川さんの契約についての討議がされたのだそうです。

「江川卓はコミッショナーに巨人入団を認められていなかった!」に続く

会見を行う正力亨オーナーと江川卓
1978年11月21日。巨人入団会見を行う力亨オーナー(左)と江川さん(右)。

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