首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回を記録するなど、大阪(阪神)タイガースの黎明期を支え、戦後は「ダイナマイト打線」の不動の4番として活躍して、1974年には野球殿堂入りも果たした、藤村富美男(ふじむら ふみお)さんは、実は投手も務めた二刀流でした。今回はそんな藤村さんの現役時代の打撃成績と投手成績をご紹介します。
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プロ野球選手(現役)時代の打者成績
それでは、まず、藤村さんの現役時代の打撃成績をご紹介しましょう。
- 1936年春夏(大阪タイガース)
11安打 打率2割9分7厘 0本塁打 5打点 1盗塁(0二塁打 2三塁打 6得点 四球4 敬遠0 出塁率3割6分6厘 長打率4割0分5厘) - 1936年秋(大阪タイガース)
18安打 打率3割4分6厘 2本塁打 13打点 3盗塁(1二塁打 1三塁打 13得点 四球7 敬遠0 出塁率4割3分3厘 長打率5割1分9厘)で、本塁打王 - 1937年春(大阪タイガース)
25安打 打率2割3分8厘 0本塁打 15打点 1盗塁(10二塁打 2三塁打 13得点 四球17 敬遠0 出塁率3割5分 長打率3割7分1厘) - 1937年秋(大阪タイガース)
40安打 打率3割1分7厘 0本塁打 16打点 1盗塁(8二塁打 4三塁打 20得点 四球8 敬遠0 出塁率3割6分8厘 長打率4割4分4厘) - 1938年春(大阪タイガース)
44安打 打率3割0分1厘 0本塁打 20打点 4盗塁(7二塁打 6三塁打 32得点 四球15 敬遠0 出塁率3割7分 長打率4割3分2厘)で、(最多得点) - 1938年秋(大阪タイガース)
43安打 打率2割6分2厘 1本塁打 34打点 4盗塁(11二塁打 3三塁打 25得点 四球19 敬遠0 出塁率3割4分6厘 長打率3割8分4厘)で、(最多二塁打) - 1943年(阪神軍)
25安打 打率2割0分2厘 0本塁打 11打点 2盗塁(4二塁打 1三塁打 10得点 四球14 敬遠0 出塁率2割8分3厘 長打率2割5分) - 1944年(阪神軍)
41安打 打率3割1分5厘 0本塁打 25打点 2盗塁(2二塁打 3三塁打 12得点 四球19 敬遠0 出塁率4割0分7厘 長打率3割7分7厘)で、打点王 - 1946年(大阪タイガース)
121安打 打率3割2分3厘 5本塁打 69打点 11盗塁(31二塁打 12三塁打 65得点 四球48 敬遠0 出塁率4割0分1厘 長打率5割0分9厘)で、(最多二塁打) - 1947年(大阪タイガース)
132安打 打率2割7分4厘 2本塁打 71打点 10盗塁(36二塁打 6三塁打 60得点 四球34 敬遠0 出塁率3割2分9厘 長打率3割8分7厘)で、打点王(最多二塁打) - 1948年(大阪タイガース)
166安打 打率2割9分 13本塁打 108打点 15盗塁(38二塁打 13三塁打 69得点 四球31 敬遠0 出塁率3割3分1厘 長打率4割7分)で、打点王(最多三塁打) - 1949年(大阪タイガース)
187安打 打率3割3分2厘 46本塁打 142打点 12盗塁(35二塁打 3三塁打 116得点 四球47 敬遠0 出塁率3割8分8厘 長打率6割5分)で、本塁打王・打点王(最多安打・最高長打率) - 1950年(大阪タイガース)
191安打 打率3割6分2厘 39本塁打 146打点 21盗塁(41二塁打 3三塁打 130得点 四球100 敬遠0 出塁率4割6分5厘 長打率6割7分4厘)で、首位打者(最多安打・最高出塁率) - 1951年(大阪タイガース)
131安打 打率3割2分 23本塁打 97打点 7盗塁(27二塁打 3三塁打 71得点 四球69 敬遠0 出塁率4割2分4厘 長打率5割6分8厘) - 1952年(大阪タイガース)
149安打 打率3割1分4厘 20本塁打 95打点 5盗塁(29二塁打 1三塁打 74得点 四球59 敬遠0 出塁率3割9分3厘 長打率5割0分5厘) - 1953年(大阪タイガース)
135安打 打率2割9分4厘 27本塁打 98打点 1盗塁(28二塁打 0三塁打 62得点 四球60 敬遠0 出塁率3割8分 長打率5割3分2厘)で、本塁打王・打点王 - 1954年(大阪タイガース)
115安打 打率2割7分3厘 21本塁打 78打点 2盗塁(15二塁打 0三塁打 42得点 四球32 敬遠0 出塁率3割2分3厘 長打率4割5分7厘) - 1955年(大阪タイガース)
94安打 打率2割6分9厘 21本塁打 63打点 1盗塁(12二塁打 0三塁打 41得点 四球35 敬遠5 出塁率3割4分5厘 長打率4割8分4厘) - 1956年(大阪タイガース)
23安打 打率2割1分9厘 4本塁打 19打点 0盗塁(4二塁打 0三塁打 10得点 四球9 敬遠1 出塁率2割9分3厘 長打率3割7分1厘) - 1958年(大阪タイガース)
3安打 打率1割1分5厘 0本塁打 1打点 0盗塁(0二塁打 0三塁打 0得点 四球4 敬遠0 出塁率2割3分3厘 長打率1割1分5厘)
と、現役生活17年1558試合で(大阪タイガース(阪神軍))で、通算1694安打 打率3割 224本塁打 1126打点 103盗塁(339二塁打 63三塁打 871得点 631四球 敬遠6 出塁率3割7厘4厘 長打率5割0分1厘)の成績を残しています。
プロ野球選手(現役)時代の投手成績
次に、投手としては、
- 1936年春夏(大阪タイガース)
3勝3敗 44奪三振 防御率2.60(登板8 完投4 完封1 無四球0 投球回52.0) - 1936年秋(大阪タイガース)
6勝1敗 40奪三振 防御率1.94(登板11 完投3 完封1 無四球0 投球回55.2) - 1937年春(大阪タイガース)
4勝1敗 27奪三振 防御率1.30(登板12 完投2 完封1 無四球0 投球回55.1) - 1937年秋(大阪タイガース)
0勝0敗 4奪三振 防御率3.38(登板5 完投0 完封0 無四球0 投球回13.1) - 1938年春(大阪タイガース)
4勝1敗 11奪三振 防御率3.05(登板6 完投0 完封0 無四球0 投球回20.2) - 1938年秋(大阪タイガース)
0勝1敗 1奪三振 防御率9.00(登板1 完投0 完封0 無四球0 投球回1.0) - 1944年(阪神軍)
1勝0敗 4奪三振 防御率1.20(登板2 完投0 完封0 無四球0 投球回15.0) - 1946年(大阪タイガース)
13勝2敗 43奪三振 防御率2.44(登板23 完投4 完封0 無四球0 投球回107.0) - 1948年(大阪タイガース)
2勝2敗 7奪三振 防御率4.79(登板6 完投1 完封1 無四球0 投球回20.2) - 1950年(大阪タイガース)
0勝0敗 1奪三振 防御率0.00(登板1 完投0 完封0 無四球0 投球回0.2) - 1951年(大阪タイガース)
1勝0敗 1奪三振 防御率0.00(登板1 完投0 完封0 無四球0 投球回4.0)
と、投手活動8年(大阪タイガース(阪神軍))で、通算76登板 34勝11敗 183奪三振 防御率2.35(完投14 完封4 無四球0)の成績を残しています。
タイトルは首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回ほか多数
そんな藤村さんは、
- 首位打者1回(1950年)
- 本塁打王3回(1936年秋、1949年、1953年)※13年(14シーズン)のブランク受賞は同賞史上最長
- 打点王5回(1944年、1947-1949年、1953年)
- 最多出塁数1回(1950年)
- 最多安打2回(1949年、1950年)※当時連盟表彰なし
など多数のタイトルを獲得しています。
サイクル安打2回、2試合連続満塁本塁打ほかNPB記録多数
また、藤村さんは、そのほかにも、
- サイクル安打2回
- 1回目:1948年10月2日、対金星スターズ17回戦(阪神甲子園球場)※史上初
- 2回目:1950年5月25日、対広島カープ12回戦(阪神甲子園球場)※2リーグ制後初
- 2試合連続満塁本塁打(1953年4月28日-29日 ※日本プロ野球記録)
- 三塁手シーズン209刺殺(1950年 ※日本記録)
- 三塁手シーズン484補殺(1950年 ※セ・リーグ記録)
- 三塁手シーズン60併殺(1950年 ※セ・リーグ記録)
- 三塁手シーズン728守備機会(1950年 ※日本記録)
- シーズン40本塁打(1949年 ※史上初)
- シーズン本塁打の日本記録を2度記録(2本(1936秋)、46本(1949) ※本塁打王創設後初)
- オールスターゲーム出場5回(1951-1955年)
と、多数の記録を記録しています。
野球殿堂競技者表彰、MVP、ベストナインなど受賞
そんな藤村さんは、
- 最高殊勲選手(MVP)1回(1949年)
- ベストナイン6回(三塁手部門1947-1952年)
- 野球殿堂競技者表彰(1974年)
などの賞も受賞しています。
背番号10は阪神タイガースの永久欠番
ちなみに、藤村さんの背番号は、現役時代(1936~1958年)はずっと「10」で、背番号「10」は、1959年に阪神タイガースの永久欠番となっています。
そして、現役引退後は、以下のように変遷しています。
- 60(国鉄スワローズ、東映フライヤーズ 1963年、1967-1968年)
- 40(東映フライヤーズ 1964-1965年)