1935年、14歳の時、大日本野球連盟名古屋協会(⇒名古屋軍⇒中日ドラゴンズ)に練習生として入団すると、1937年には、16歳と4日で公式戦デビューを果たし、1940年には、20勝、防御率1.92で、一躍主力投手となった、西沢道夫(にしざわ みちお)さんは、1942年5月24日、トリプルヘッダー3試合目の大洋戦(後楽園球場)に先発すると、このシーズン、それまで1勝しかしていなかったにもかかわらず、延長28回を投げ抜き、世界記録を更新したといいます(それまでは大リーグ記録の延長26回)。今回は、その試合の詳細をご紹介します。
「西沢道夫(初代Mr.ドラゴンズ)は16歳で公式戦初登板していた!」からの続き
当時は日没で試合が強制終了となっていた
当時はナイター設備がなく、日没で試合が強制終了となったため、1球場に複数のチームが集まり、明るいうちに3試合を済ませる強行スケジュールだったそうで、
この日、後楽園球場では、名古屋軍対朝日軍(3対2)、大洋対巨人(1対0)、そして、最後に、大洋対名古屋軍の3試合が行われ、西沢さんが先発した大洋戦は、午後2時40分に試合開始となったそうです。
(※大洋は戦後の「大洋ホエールズ」とは別チーム)
名古屋軍(中日)は1回表から先制のチャンスを掴むもあえなくスリーアウトに
そして、試合は、1回表、名古屋軍が、先頭の石丸藤吉選手がワンボールから2球目を左飛、続く2番・木村進一選手が初球ファウルから2球目を中前打で、一死一塁とすると、
3番・桝嘉一選手の4球目、一走の木村選手がスタートし、枡選手が右前打を放って、見事、エンドランが決まり、一死一三塁と先制のチャンスをつかむのですが、
大洋のエース・野口二郎投手の前に、4番・飯塚(小鶴)誠選手はカーブで3球三振、5番・古川清蔵選手もカウント2-1から三振に倒れてしまいます。
名古屋軍(中日)が2回表に1点を先制
しかし、その裏、名古屋軍は、西沢さんが大洋を無得点に抑えると、2回表、先頭6番・吉田猪佐喜選手が左前打で出塁し、7番・野口正明選手は遊ゴロも、大洋のショート・濃人渉(のうにん わたる)選手のエラーで、無死一二塁のチャンス。
ここで、8番の西沢さんは、カウント1-2からの4球目を遊ゴロとしてしまうも、一走の野口選手が二塁で封殺されたのみで、一死一三塁に。(併殺失敗かは不明)
すると、続く9番・芳賀直一選手は初球を遊ゴロとなるのですが、その間に、三走の吉田選手がホームに突っ込んだことから、大洋のショート・濃人選手がバックホームするもセーフとなり、1点を先制します。
ただ、その後は続かず、1番・石丸選手はレフトファールフライ、2番・木村選手はセカンドライナーに倒れてスリーアウトチェンジとなります。
(名古屋軍1-0大洋)
名古屋軍(中日)は3回表に濃人渉のエラーで1点を追加
その後、名古屋軍は、2回裏も西沢さんが大洋を無得点に抑えると、3回表には、先頭打者の3番・枡選手は三ゴロも、4番・飯塚選手が四球、5番・古川選手がレフト線に二塁打、6番・吉田選手がカウント2-3から1球ファウルで粘って、四球を選び一死満塁のチャンスに。
ここで、7番・野口正明選手はレフトフライに倒れると、続く8番・西沢さんもワンストライクから遊ゴロとなり、スリーアウトチェンジかと思われたのですが、またもや濃人選手のエラーで、その間、三走・飯塚選手がホームインして1点を追加し、2対0となります。
ただ、なおも続く二死満塁のチャンスでは、9番・芳賀選手がピッチャーフライに倒れ、スリーアウトチェンジとなります。
(名古屋軍2-0大洋)
快調なピッチングを続けるも6回裏に2対2の同点に追いつかれる
そして、名古屋軍は、3回裏も西沢さんが、先頭の佐藤武夫捕手を初球で遊ゴロ、織辺由三選手をワンボールからセカンドフライ、中村選手をカウント2-2から5球目をレフトフライと、順調に打ち取ると、その後も、西沢さんは、快調なピッチングを続けていたのですが、
(西沢さんのここまでの投球数は29球。一方、相手の野口二郎投手は57球だったそうです)
2対0とリードしていた6回裏、西沢さんは、先頭打者の織辺選手にカウント1-3から四球で出塁させ、続く1番・中村選手にカウント1-2からの4球目をセンター前ヒットを打たれて、無死一、二塁となると、濃人選手にワンボールから送りバントを成功され、一死二三塁に。
ここで、3番・浅岡選手にレフト線へタイムリー二塁打を打たれて、2対2の同点に追いつかれてしまいます。
(名古屋軍2-2大洋)
7回裏には村松長太郎の左中間ヒットを皮切りに4対2と逆転される
さらに、7回裏には、村松長太郎選手に左中間へヒット、代打・苅田久徳選手に三遊間ヒットを打たれ、無死一二塁で、8番・佐藤武夫捕手には送りバントをされるのですが、これが内野安打となり、その間に、二走の村松選手にホームを駆け抜けられ、3対2と逆転されます。
しかも、その間に三塁に進んでいた苅田選手に虚を突かれホームに突っ込まれると、慌てた一塁手の野口正明選手の送球は悪送球となり、4対2となってしまいます。
(名古屋軍2-4大洋)
名古屋軍(中日)が9回表に古川清蔵の2ランホームランで4対4の同点に追いつく
しかし、9回表、名古屋軍は、一死から、3番の桝嘉一選手が四球で出塁し、4番の飯塚選手のファーストゴロで、二死二塁となると、5番の古川清蔵選手がカウント0-2からの3球目を、レフトスタンド上段に叩き込む同点の2ランホームランを放ち、一気に試合を4対4の振り出しに戻したのでした。
(名古屋軍4-4大洋)
「西沢道夫は延長28回を投げ抜いた年ノーヒットノーランも達成していた!」に続く