俳優として活躍する一方で、1975年からは、俳優志望の若者を指導する「無名塾」も主宰されている、仲代達矢(なかだい たつや)さんですが、今回は、そんな仲代さんの本名や愛称の由来ほか、弟さんとお父さんについてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
仲代さんは、1932年12月13日生まれ、
東京府東京市目黒区五本木(現・東京都目黒区)のご出身、
身長178センチ、
血液型はB型、
学歴は、
青南小学校
東京都立北豊島工業学校中退(空襲のため)
⇒東京都立重機工業学校卒業
⇒東京都立千歳高等学校定時制卒業
趣味は、
映画観賞、野球観戦だそうです。
本名は?愛称・芸名の由来は?
仲代さんの本名は、「仲代元久(なかだい もとひさ)」で、子どもの時には、お母さんから、元久の「モ」と「ねえや」「ばあや」の「ヤ」をかけあわせて、「モヤ」と呼ばれていたそうですが、
激しい役を演じられても、演技を離れれば、温和でぼんやりしていることが多かったり、掴みどころのない独特の雰囲気、声に抑揚があまりないところなど、仲代さんの特徴を思い起こさせる、「靄(もや)」を連想させることから、芸能界に入ってからも多くの人にこの愛称で呼ばれ続けているそうです。
また、芸名の「達矢」は、仲代さんが射手座であることから、「的に達する矢のごとく」という意味を込め、異母姉により名付けられたそうです。
弟はシャンソン歌手の仲代圭吾
仲代さんの弟さんは、シャンソン歌手の、仲代圭吾(なかだい けいご)さんです。
圭吾さんは、20代から歌手として活動を始められると、主にライブをされていたそうで、「能登演劇堂」のサイトのプロフィール欄には、
シャンソン・カンツォーネを日本語でわかりやすく歌い、 悲しみを笑いや楽しみに変えて表現し、聴く人を魅了します。
レパートリーも幅広く、シャンソンカンツォーネ、オペラ、タンゴ、ラテン等、オリジナルも数多い。代表作「歌うように話せたら」「あゝ結婚」「俺はコメディアン」「カルーソーを夢見て」「百万本バラ」などがある。
と、紹介されています。
(左から)奥さんの行代美都さん、仲代圭吾さん、特別出演の仲代達矢さん。
ちなみに、圭吾さんは、奥さんの行代美都(ゆきしろ みと)さんと、ペアで活動されているようです。
父親は不倫相手との子
仲代さんのお父さんの忠雄さんは、なんと、お母さん(仲代さんの祖母)が旅役者との不倫の末に生まれた子どもだったそうです。
それでも、お母さんの夫が茨城県長竿村の豪農だったため、忠雄さんは長男として、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうで、長竿村からただ一人、農学校(現在の茨城県立江戸崎総合高校)に進学されると、甘酒や水飴ほか、当時では珍しかったジャムの製造などを学ばれたそうです。
ただ、卒業後は、農家を継がず、家を飛び出し上京されると、大正14年(1925年)には、きいさんと結婚。その後、いつ頃か不明ですが、ハイヤー会社を経営されたそうで、
仲代さんの弟・圭吾さんも、
長男ですから東京に出るとき、お金をかなり貰ってきたと思うんですよ。それで車を買って、ハイヤー会社を始めたと思うんですけどもね。車屋さんの車置き場の片隅を借りて、そこに入ってやってたみたい。
と、語っておられるのですが、やがて、円タク(メーターをつけずに都内を一円で走る流しのタクシー)にとって代わられてしまったそうです。
そんな中、1929年には、妻のきいさんが他界されるのですが、忠雄さんは、故郷には帰らず、東京にとどまると、翌年の1930年、「五反田小町」と呼ばれた薬屋の看板娘で、まだ20歳だった、野口愛子さん(仲代さんのお母さん)と出会われると、交際に発展し、結婚されたのだそうです。